Wikipediaによるフェミニズムの定義は「女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称」でした。
この定義はフェミニズムの中でも「第二期」に該当するもの、特にウーマンリブに該当するものでしょう。
ウーマンリブはフェミニズムの入門書などでは結構うやむやに扱われがちなのにもかかわらず、その後の有力なフェミニストたちに多大な影響を与えるほど重要な存在なので、今回整理しようと思います。
1.ウーマンリブとフェミニズムの違い
ウーマンリブの正式名称は[ウィメンズ・リベレーション・ムーヴメント]、他には[リブ]や[女性解放運動]という言い方もあります。
この運動は1960年代に起こるのですが、1970年代から始まるラジカル・フェミニズムの当初の呼び名とされています。
ウーマンリブに参加していた人々の一部がリーダーとなり、ラジカル・フェミニズムという新しい運動を始めたのでしょう。
では、なぜ[ウーマンリブ]という名称が使われなくなったのかと言うと、[フェミニズム]という名称の方が歴史性の強い言葉だったからです。
男女平等を求める思想としてはリベラル・フェミニズムや社会主義フェミニズムなどが既にありました。
ウーマンリブの担い手の一部は、これら第一期フェミニズムを批判しつつも影響を受けながら独自の理論(ラジカル・フェミニズム)を作りだし、自分たちをフェミニズムの歴史に位置付けます。
ところで、ウーマンリブ自体はというと、
フェミニズムの担い手たちは、リブから直接・間接のメッセージを受け取って、それを言語化・運動化しようとしてきた
出典元:上野千鶴子『差異の政治学』
という上野千鶴子氏(日本の代表的フェミニスト)の言葉から察するに、
ウーマンリブは社会に対する何らかの強烈な訴えを持っていたにもかかわらず、それを言語化できていなかったのでしょう。
それではその「強烈な訴え」とはどのようなものだったのでしょうか。
2.ウーマンリブの概要
1960年代は新左翼運動の時代でした。
学生運動、反戦運動、公民権運動といった新左翼運動の中には女性も多くいたのですが、
彼女たちはそれらの運動や思想の中にも存在していた女性差別に直面し、幻滅し、それに対して異議申し立てをしたのがウーマンリブの始まりです。
ウーマンリブが最初に起こったのはアメリカなのですが、新左翼運動を批判する運動であるため、先進工業国でほぼ同時に起きたという見方が正しいでしょう。
2-1.女性と男性に対して
上野氏はウーマンリブの担い手について、こう評します。
彼女たちは、「女自身の奴隷根性と、女性(おんなせい)に対する蔑視・抑圧を土台に成り立っている」新左翼の男権主義に失望し、袂を分かった人々である。
出典元:同上
公的なこと(政治・経済活動、社会全体に関わることなど)は男性が務め、女性は男性の補助をするというのが人間社会の歴史的な特徴でした。
このような役割を女性が進んで買って出ることが「女自身の奴隷根性」の意味なのですが、ウーマンリブはこのように女性自身にも厳しいわけですね。
また、先述したようにウーマンリブの初期の担い手は新左翼運動と「袂を分かった人々」なのですが、彼女たちが味わった「蔑視・抑圧」は深刻なものでした。
2-2.新左翼運動の問題点
左翼活動をしていた人から当時の話を聞くと、めちゃくちゃ。女子大へオルグ(宣伝・勧誘)に行って、「よし革命のためだ!」とかって、みんなヤッちゃうとか。津田塾は入れ食いだったとか、酔うにつけめちゃくちゃな話が出てくる。
出典元:福田和也『無礼講』
連合赤軍の政治指導者は、「オレとセックスしないということは、お前は政治意識が低い」と言って関係を迫るわけである。むちゃくちゃだが、当時の左翼の間では、そういう理屈が通っていた。
出典元:同上
当時の新左翼の間ではこういった「女性に対する性的搾取」が横行していたようです。
もちろん、新左翼運動における女性の役割はこれだけではありません。
- 公衆便所 →ヤらせてくれる女の意。同意の有無は不明。
- かわいこちゃん →可愛がりもてはやす対象の女。
- 救対 → デモのけが人や逮捕者の救援対策のための女。
- ゲバルト・ローザ →男まさりに暴力を振るう女。ドイツの革命家ローザ・ルクセンブルクが由来。
このように彼女たち(ほぼ女学生)は、[性対象]になるか[男の世話]をするか、過剰に[男性化]することがほとんどでした。
ウーマンリブや後続のラジカル・フェミニズムが男性の性暴力に敏感なのはこの辺に事情があると思われます。
2-3.「女」として生きる
さて、先ほどウーマンリブ以前から「男女平等を求める思想は既にあった」と述べました。日本では社会主義運動や主婦連などがそれにあたります。
しかし、彼女らは、
「男に認められたい女たち」か「男にその存在を許された女たち」、「主婦」「妻」「母」などの「女役割」をになう女たちであった。
出典元:上野千鶴子『差異の政治学』
このような抑圧から解放され、「女」として生きたいというのがウーマンリブの叫びでした。
このような主張は、特に男性からは「社会を乱す者」と思われるし、過剰に男性社会に適合した女性を「奴隷的」だと批判したせいで、逆に多くの女性からの反発を招きます。
私は「新左翼の男子学生は邪な連中で、ウーマンリブの女性は無垢だった」という偏った見方はしません。ウーマンリブの中にも、ただ単に男や男好きする女を攻撃したかった人もいると思います。
しかし、彼女たちがマスコミにまで散々に叩かれたのは、やはり既存社会を揺るがすパワーを持っていたことが大きいではないでしょうか。
3.ラジカル・フェミニズムへ
以上のように、ウーマンリブには、
- [女]としての心の叫びを重要視すること。
- 主に女性への性的搾取を問題視するという傾向。
これらの漠然とした方向性があったのですが、運動としてはあまり組織化されていなかったようです。
現に代表者もいなかったようですし、活動内容も各リブセンターが自由に決めていました。理論家もほとんどいなかったのではないでしょうか。
しかし、ウーマンリブの大きなうねりは、後継に当たるラジカル・フェミニズムのケイト・ミレットやシュラミス・ファイアストーンなどの理論家に大きな影響を与え、
そして、ラジカル・フェミニストたちは家父長制やリプロダクティブやジェンダーなどの画期的な問題提起をしていくのです。