フロイトの精神分析、マルクスのマルクス主義、ダーウィンの進化論という19世紀の三大思想に対して、フェミニズムは、
- マルクス主義 →肯定的。特にマルクス主義フェミニズム。
- 進化論 →否定的。
- 精神分析 →両義的。精神分析フェミニズムは肯定的、ラジカル・フェミニズムは否定的。
このように影響を受けました。
今回は、この内精神分析フェミニズムについて書いていこうと思います。
目次
1.精神分析とフェミニズム
精神分析をご存知ではない方も「無意識」や「自我」などの言葉は知っていると思います。精神分析はそれらを分析する学問です。しかし、ヒステリーなどの精神疾病の治療理論でもあります。
この二重性が精神分析をややこしくしている点で、
精神分析の学問的部分は反証可能性がない(チェックしようがない)ため非科学的だとされていますが、精神疾病への治療効果はあるのです。
よって、完全には否定できないわけですね。
「精神分析の学問的部分をどの程度受け入れるか」は人びとの間で変わってくるのですが、フェミニズムも例外ではありません。
また、精神分析は創設者であるフロイトの理論+ それから派生したものであることも押さえておきましょう。
1-1.フロイトの女性観
フェミニズムは基本的にはフロイトの理論には否定的です。例えば、フロイトは、
女性には公正ということに対する感覚があまり認められない
出典元:ジークムント・フロイト『精神分析入門』
と述べています。これは、
「精神分析の結果、この結論に辿り着いた」というよりも「この偏見を基にして精神分析を作り上げた」と言った方が正しいでしょう。
というわけで、このような偏見に基づき、しかも助長しているようなフロイトの精神分析に対し、フェミニズムは否定的なわけです。
※フロイトの女性蔑視については、いずれまとめようと思います。
1-2.膣オーガニズム神話とは
ラジカル・フェミニズムは、フロイトの精神分析に対してかなり批判的だと言われています。
初期の頃は精神分析を真に受けた上で批判していたようです。
例えば、フロイトは「クリトリスからヴァギナへの性感被刺激性の移行」を女性の健全な発達とみなしていました。
代表的ラジカル・フェミニストのアン・コートは、これを「膣オーガニズム神話」と呼び痛烈に批判します。
膣オーガニズムの神話は,挿入─射精─次代再生産という男の性欲望と生殖機能を機軸に女の性欲望を矮小化して作られたものであるから,女は自分自身の性の快楽(クリトリスの快楽)を取り戻さなければならないと主張した。
出典元:竹下和子『フェミニズム』
要するに、
- 膣の快楽 →男性の性器に受動的でないと得られない。
- よって、自分自身で快楽を得られるクリトリスに性欲望を取り戻さなければならない。
というお下劣な話をしているわけです。
これを額面通り受け取れば「女性に対して自慰行為を勧めている」ことになるのですが、
そもそもフロイトの「クリトリスからヴァギナへの性感被刺激性の移行」という話自体が荒唐無稽な話なので、それほど真に受ける必要はありません。
まあ、現在のラジカル・フェミニストは、さずがにフロイトのこの主張自体に疑問を持っていると思うので、大丈夫だとは思いますが。
2.精神分析フェミニズムについて
初期のラジカル・フェミニズムよりもさらに精神分析から影響を受けたのが精神分析フェミニズムです。
2-1.家父長制とエディプスコンプレックス
その代表格のジュリエット・ミッチェルは以下のように述べます。
家父長制文化を代表すると言ってほぼまちがいのないエディプス・コンプレックスは、ちょうど、男の分析家であるフロイトが文化のあり方を彼の方法に反映させて、彼の女患者たちに対して母の役割を曖昧にしたのと同じように、前エディプス段階を隠した。
出典元:ジュリエット・ミッチェル『 精神分析とフェミニズム』
これは非常に示唆的な箇所で、
- 精神分析フェミニズムは、フェミニズムの最重要概念である家父長制とエディプス・コンプレックスを結び付けて考えている。
- エディプス・コンプレックスは前エディプス段階を隠す作用がある。
以上のことがわかります。
確かに、家父長制とエディプス・コンプレックスが似ていることはわかりますが、フロイトが作り上げた仮説に過ぎないエディプス・コンプレックスを現実的なものとし、さらに彼が提唱した「前エディプス段階」に重きを置くのが精神分析フェミニズムだということです。
家父長制
エディプスコンプレックス
2-2.前エディプス段階を重要視
エディプス・コンプレックスで問題になるのは、男子においても女子においても父親との関係です。
女子の場合エディプス・コンプレックスを克服する契機がないため、父親を愛し、依存した状態が続くとされています。
これに対し、前エディプス期が長引き、母親と一体化する度合いが強くなることこそが、女子の心理を作ると主張したのがナンシー・チョドロウです。
自分自身を、少年たちほど差異化されないものとして、より連続的に外界の対象関係と関係するものとして、みずからを経験する
出典元:ナンシー・チョドロウ『母親業の再生産』
チョドロウによると、このような共感性こそが、女性の本質だそうです。
しかしこの主張だと、
という偏見を助長しそうですが、むしろ逆にそれを「豊かな共感性」として捉えようということなのでしょう。
3.ポストモダン・フェミニズムへ
というわけで今回は精神分析フェミニズムの紹介をしました。
他流派のフェミニズムの記事も読まれた方は、おそらく難しく感じたのではないでしょうか。
精神分析自体が、突拍子もない事を言う難解な理論なのでしょうがないのですが、精神分析フェミニズム自体にも思想・哲学にある程度詳しい人や学者・学会に向けて作られているっぽいため、そもそもが難しいという事情があるのでしょう。
初期のラジカル・フェミニズムが精神分析を真に受けた理由も、それだけ精神分析の存在感が大きかったから。言い換えれば、精神分析の話をしていれば思想業界でもてはやされたからというのもあると思います。
さて、精神分析フェミニズムの後継に当たるポストモダン・フェミニズムは「ポストモダン」という名前が入っているだけあってさらに難解です。
こちも、フェミニズムだけではなく哲学にも関心がある方向きだと言えるでしょう。
男は社会全体のことを配慮できるが、女は身の周りの事しか考えられない!