「自然」には一般的には2つの意味があります。ザックリ言うと
- 海とか草原とかの自然。
- あるがままの姿。おのずからある状態。
①は説明不要と思うのですが、問題は②の方です。
「あるがままの姿」と言うと見たままのことをスケッチブックに描写することのように思うかもしれませんが、
雲は流れるし、木々は枯れまた生い茂ります。つまり自然は動いているのです。では「あるがままの姿」とは一体何なのでしょうか。
ここまで来ると哲学的な議論に入っていきます。
[おのずからある状態]は「本性」とも言い換えられます。
人間の本性ならば「あの娘の本性は泥棒猫よ!」的な感じでわかりやすいのですが、
人間だけではなく、海や草木やいろいろな物事を含めたすべての存在者の本性と言われるとよくわからないですよね。
これも哲学的な議論なのですが、哲学者たちは古来からこの難問を解き明かそうと試みました。
「自然」に関する知識や探求から哲学は始まったとも言えます。
今回はこの「自然」について解説していきましょう。
1.自然の一般的な意味
哲学的な「自然」の解説の前に一般的な「自然」のについて一応整理しておきます。
冒頭の自然の①の意味を詳しく言うと、
人為によってではなく、おのずから存在しているもの。山・川・海やそこに生きる万物。天地間の森羅万象。人間をはぐくみ恵みを与える一方、災害をもたらし、人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる。 「 -を破壊する」 「 -の猛威」 「 -を愛する」
出典元:三省堂 大辞林 第三版
文章で書くと余計にこんがらがりますよね(´・ω・`)
[人為]や[その秩序]という部分に注目してください。これは重要な概念である「ノモス」や「ロゴス」に関わります。
※「ノモス」については後述。「ロゴス」については後日書きます。
ロゴス
冒頭の②の意味は厳密に考えていくと哲学的な問いになりますが、一般的には[しっくりくる]や[わざとらしくない]の意味で使われます。
【例】「スーツ姿にスニーカーなんて、彼は不自然な恰好だね。」
また、
人間の手の加わらない、そのもの本来のありのままの状態。天然。「野菜には自然の甘みがある」
出典元:goo辞書
自然=[人間の手が加わらない]と解釈すると「天然」に言い換えることができるようです。
2.自然の哲学的な意味
次は「自然」の哲学的な意味を見ていくのですが「ピュシス(physis)」という言葉を聞いたことはないでしょうか。
「自然(ピュシス)」には3つの意味があります。まとめると
- 【a】(冒頭の①の意味)海とか草原などの人間的なものとは区別される領域。「人為(ノモス)」や「技術(テクネ―)」の対義語。
- 【b】あらゆる全てのものの真の在り方。
- 【c】「ペスタイphyesthai」=[生える][生成する]の名詞形。おのずから生成し変化し消滅する運動の原理のこと。
なお、下に行くほど成立は古くなります。
一番上の「ノモス」や「テクネ―」の対義語としての意味も最も新しいものだと言っても成立させたのはプラトン(紀元前427年生まれ)です。
[あらゆる全てのもの]は「万物(タ・パンタ)」とも言われます。「万物は流転する」などで有名な[万物]です。
2-1.フォアゾクラティカ―
ソクラテス以前の哲学者のことを「フォアゾクラティカ―」と呼びますが、彼らは
[おのずから生成し変化し消滅する運動の原理]としての「自然(ピュシス)」の探究をしていました。
例えば、
- タレス(紀元前624~546)→哲学の創始者。「万物の根源は水である」
- アナクシマンドロス(紀元前610~546)→タレスの弟子。「万物の根源は無限定なものである」
- ヘラクレイトス(紀元前535~475)→イオニア系哲学の代表者。「万物は流転する」
※エレア派の哲学の開祖であるパルメニデスこそが哲学の創始者だとする意見もあります。
タレスが哲学の創始者だというのはアリストテレスの分類で、しかも正確には「大地は水の上にある」と言ったそうです。
これは重要なポイントなのでまとめておきましょう。
2-2.イデア論の乗り越え
アナクシマンドロスも「万物の根源は無限定なものである」という言い方はしていません。もっと回りくどい言い方をしています。
「万物の根源は無限定なものである」はアリストテレスがアナクシマンドロスの思想を一言で表現した際の言葉です。
彼はリュケイオン(学校の名前)の先生だったので、生徒にもわかるようにこのようなフレーズを作ったのでしょう。
先生と言っても、ただ生徒に哲学を教えるためだけにフォアゾクラティカ―の思想をまとめていたわけではありません。
アリストテレスは師プラトンの思想を乗り越えるためにフォアゾクラティカ―の研究をするという動機も持っていました。
「自然(ピュシス)」の【b】の意味をもう一度見てください。これは何となく、プラトンの「イデア」論を彷彿とさせますよね。
プラトンの思想は当時から力があったのですが、彼の「イデア」は静的で動植物の存在を解明するのには向きませんでした。
そこで、万物の根源をおのずから生成変化する「自然(ピュシス)」とするフォアゾクラティカ―の思想を検討しながら、
プラトンの世界に生成変化を取り入れようとしたわけです。
その結果出来上がったのが「可能態(デュナミス)」と「現実態(エネルゲイア)」の考え方です。
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2-3.ヘラクレイトスは要チェック
正直、タレスの[大地は水の上にある]には「自然(ピュシス)」や万物の根源を問う哲学的営為はあまり感じないのですが、
※ちなみに、根源(始原)は「アルケー」とも呼ばれます。
アナクシマンドロスやヘラクレイトスの思想にはかなりのピュシスを感じます。
ヘラクレイトスの思想は「そのピュシスがたまらない」として、哲学好きには結構人気があります。
歴女における「黒田官兵衛」ぐらい人気がありそうな勢いです。
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2-4.ピュシスは日本人にもお馴染み?
ヘラクレイトスは人間を「自然(ピュシス)」の一部と捉え、「自然(ピュシス)」のロゴスに従って生きるようにといたのですが、
そもそもおのずから生成変化する「自然(ピュシス)」という考え方は古代ギリシャ特有のものというわけではありません。
親鸞聖人の「自然法爾(じねんほうに)」や、古代日本の「ムスヒ」という言葉も似た意味を持っているそうです。
日本もギリシャも共に温帯で自然が豊かであるため、発想が似ていたのかもしれません。
2-5.近代と保守思想
人間=「自然(ピュシス)」の一部という位置づけはソクラテスの登場とともに変わります。
ソクラテスの「大事なのは、ただ生きるのではなく善く生きることだ」という言葉から分かるように、彼は人間の魂を哲学の主題にしました。
その背景にはアテネの人々のモラルの低下や相対主義の流行などがあったので、やむを得ない部分もあるのですが、
プラトンの頃になると、先述したように「自然(ピュシス)」は「人為(ノモス)」と対置されるようになります。
アリストテレスが多少揺り戻しをしたものの、「西洋人は自然を征服する対象にしてけしからん」系の人の中にはプラトンを責める人もいます。
※ただし「西洋人は自然を征服する対象にしてきた」という批判は西洋人のフランクフルト学派が大々的にしました。
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と言っても、日本の保守思想家は「あらゆるものを計量可能にしモデル化する近代の合理主義(目安としてはデカルト以降)」に、
[自然を征服する人間の愚かさ]を見る傾向があり、
意外とプラトンは「大衆批判をして立派だね」と言われがちだ
ということも豆知識として最後に紹介しておきましょう。
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