タイトルで「提唱者は,やはりあの人」ともったいぶって書きましたが、隠すつもりはございません。
「フィロソフィア」という言葉を作ったのはソクラテスです。
ですが、まあ順を追って説明しましょう。
「フィロソフィア(philosophia)」を日本語で直訳すると[知を愛すること][愛知]。※愛知県と混同しないように[愛智]を使うことも。
ソクラテスもこの意味で使っていました。
[知を愛すること]をもっと詳しく言うと「知を愛し追求すること」なのですが、ここで変化が生じます。
フィロソフィアは「知を愛し追求すること」というよりも「追求して得られた知」を意味するようになっていったのです。
こうなってくると「フィロソフィア」が含意する内容は膨大なものになります。
科学が未発達な古代ギリシャでは、フィロソフィアは[科学]や[学問]といった意味も含意していたようです。
[学問]について補足しましょう。
実は日本では、「フィロソフィア」は通常[哲学]と訳されます。翻訳者はあの西周(にしあまね)です。
西周はおそらく、「フィロソフィア」を[〇〇学]と訳したかったのでしょう。その際、直訳すれば[愛智学]になったのでしょうが、
しっくりこなかったのかもしれません。
西周先生については後半触れようと思います。
[哲学]と言われると、急にこんがらがる方も多いかもしれません。
一言で言えば、哲学とは根源的、普遍的なものを明確化することです。さらに言えば、
哲学から自然科学や心理学や社会学や政治学などの様々な学問分野が派生したのですが、それなら[哲学]とは結局何なのか…
しかし「哲学とは何なのか」を解説するとかなり複雑になるので、別の機会に行います。
今回はソクラテス的な意味での「フィロソフィア」つまり、[知を愛すること]について解説していきましょう。
目次
1.フィロソフィアとは
フィロソフィア(philosophia)はソクラテスの造語ですが、ソクラテスが急に「フィロソフィア~」と言い出したわけではありません。
まず、「造語」とはどういうことかと言うと、
- フィレイン(philein)→[愛する]を意味する動詞。
- ソフィア(sophia)→[知恵・知識]を意味する名詞。
これらを組み合わせ「フィロソフィア」を作ったということです。
フィレインとソフィアを組み合わせた言葉はソクラテス以前にもありました。例えばフィロソフォス(philosophos)など。
それでは何故ソクラテスは「フィロソフィア」という新語を作ったのか、その理由はソクラテスの思想の根幹部分に関わります。
1-1.フィロソフィア以前の言葉
ザっとまとめると…
- フィロソフォス(philosophos)→[知的好奇心が旺盛な][知を愛するところの]を意味する形容詞。
- ホ・フィロソフォス(ο・philosophos)→[知的好奇心が旺盛な男][愛知者]とも。ピタゴラスが作ったと言われている。
- フィロソフェイン(philosophein)→[知を愛し求める]という意味の動詞。歴史家ヘロドトスの著作にも出てくる。
ピタゴラスとは「ピタゴラスの定理」でも知られる、あの哲学・数学者ピタゴラスです。
※しかし、現在では、
「ピタゴラスの定理」を発見していないとも哲学者でも数学者でもなかったとも、ホ・フィロソフォスを作っていないとも言われています。
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問題なのは「ホ・フィロソフォス」には[愛知者]という意味が含まれているということです。
ソクラテスが「フィロソフィア」という新語を作ったのは「ホ・フィロソフォス」と自分を差別化するためでもありました。
1-2.フィロソフィアとホ・フィロソフォス
ホ・フィロソフォスにおける[愛知者]は、例えるならば[愛犬家]のようなニュアンスです。
「自分が飼っている犬を愛でる」みたいな感じですね。
フィロソフィアには[自分がまだ所有していない知識を愛し求める]というニュアンスがあります。
ということは、フィロソフィアには[いまだに自分は無知だ]という意味も込められていることになります。
これを聞いてピンと来る方も多いのではないでしょうか。
フィロソフィアにはソクラテスの思想を考える上で非常に重要な概念である「無知の知」が関わってくるのです。
しかし、ここで注意があります。
1-3.無知の知との関係
「無知の知」とは、今までは[知らないということを自覚すること]と考えられてきたのですが、
実はソクラテス本人は「無知の知」とは言っていません。
さらに、ややこしい話なのですが、
「無知を知っているということは、もう無知ではないんじゃないの?」というパラドックスのようなツッコミもあります。
この辺の詳しいところはコチラの記事を読んでください。
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いずれにせよ、ソクラテスが造語までして重視したのは「フィロソフィア」です。
1-4.ソクラテスの打算
フィロソフィアとは「無知の知」という知識すらなく、あくまで「何も知らないから知りたい」という純粋な知識欲だと言えます。
ソクラテスには多くの弟子がいましたが、死ぬ時まで「私は誰の教師にもなれなかった」と考えていたようです。
このように聞くと、ソクラテスはライアーゲームの時の戸田恵梨香くらい純粋な人物と思う方も多いかもしれませんが、
哲学者の木田元氏はかなりうがった見方をします。
「フィロソフィア(知を愛すること。・愛知)」という言葉は、ソクラテスがこのソフィストたちへの挑戦に際して絶対不敗の立場を確保しようとして造語したものである。
出典元:木田元 編『哲学者群像』
このように「フィロソフィア」は戦略的な言葉だったそうです。
ソクラテスはソフィスト = 知識を有する人と闘っていたのですが、その闘いを絶対的に有利に進めるために、この言葉を編み出したわけですね。
※ソフィストについては
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では、なぜフィロソフィアが[絶対不敗の立場]になるのかというと、
彼がはじめから自分は無知だと看板をかかげ、知識を有していると自称するソフィストに論争を挑んでいる以上、彼にはなに一つ答える義務はなく、答えなければならないのはもっぱらソフィストの方だからである。ソクラテスはその答えを吟味し、そこにひそむ矛盾を追及し暴露しさえすればいい。
出典元:同上
確かに、ソクラテスが確信犯的に無知を装っていたとしたら結構ズルい気もします。ですが、ソクラテスの名誉のために言うと、木田氏は
「ソクラテスはその答えを吟味し、そこにひそむ矛盾を追及し暴露しさえすればいい」と素っ気なく言いますが、
これ(いわゆる「問答法・産婆術」と呼ばれるテクニック)を実践するのはかなり難しいです。
「問答法(産婆術)」を実践するには多くの知識と頭の回転の速さが必要なのです。
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いずれにせよ、フィロソフィアを掲げた「問答法」により、ソクラテスはソフィストをバッサバッサとなぎ倒して行くことになります。
2.その後とその他
以上のように「フィロソフィア」はソクラテスの個人的な知への向き合い方を意味していたのですが、
この言葉は弟子へ伝わっていく過程で意味も変わって、なおかつギリシャ語に定着していくことになります。
2-1.アリストテレスによる変化
例えば、ソクラテスの弟子のプラトンのさらに弟子のアリストテレスは
[存在]に関する議論を「第一哲学(ブローテー・フィロソフィア)」と呼んでいました。
アリストテレスの頃には冒頭でも言ったように、フィロソフィアは「追求して得られた知」を意味するようになったのです。
※第一哲学は後に「形而上学」と呼ばれるようになる学問です。
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2-2.なぜ[哲学]と訳されたか
最後にフィロソフィアが[哲学]と訳されるようになった経緯をまとめます。冒頭でも言った通り、翻訳者は明治時代の教育者西周です。
学問としての哲学は江戸時代末期には日本に入っていたようです。その時は儒教の「理」と言う言葉が当てられ[理学]と呼ばれていました。
しかしそれだと[物理学]と混同してしまうので、どうしようかと思っていたところ、
明治初期に西周が「ソクラテスが知を愛し求めていた」というエピソードを踏まえて[希哲学]という言葉を作りました。
[希]→ フィレイン(philein)、[哲]→ ソフィア(sophia)です。
やがて西周は[希哲学]の語呂が気に入らなかったのか、「希」を削って[哲学]という言葉を使うようになり今に至るのです。