社会有機体説・国家有機体説とは | どうして奴隷は存在するのか


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社会有機体説国家有機体説は聞きなじみのない言葉だと思いますが、何故か保守思想家の中で人気があるようです。

まあ、このように書くと、今度は「保守思想って何?」と疑問に思うようになってしまうかもしれないので、一言だけ言っておくと、

社会有機体説や国家有機体説は保守思想家と相容れない思想です。

  • 社会有機体説 →自由放任主義は必然だと主張する。
  • 国家有機体説 →身分社会と全体主義を容認する。

社会有機体説と国家有機体説は意味する内容はほぼ同じなのですが、このように擁護する対象が違います。

この事を念頭に置きつつ、本編に入りましょう。

1.社会有機体説とは

まずは社会有機体説から見ていきます。

冒頭でも言った通り、社会有機体説は一部の保守思想家の中で人気です。例えば、社会工学者かつ保守思想家の藤井聡氏の主張はこのようなものです。

1-1.社会は生きている

  • 社会にも生命力や活気というものがあり、人間はそれを感知できる。
  • 例えば、昔ながらの店や新たにオープンした店が立ち並ぶ繁華街には活気を感じ取ることができる。

藤井氏は「まちづくり」をする上では、このようイメージを常に持たなければならないと主張します。

要は

[街 = 道や建物が並ぶ物質的なもの]ではなく、一個の生命体として捉え尊重しようということでしょう。

確かに、社会有機体説 = 社会は生きているということを捉えるとすると、社会有機体説はほのぼのとした思想に思えます。

1-2.自由放任主義の必然性

しかし実際の、つまりスペンサーが提唱した社会有機体説が想定しているのは弱肉強食の社会です。

イメージ的にはこんな感じです。

  • 高度に発展した社会は高度に発展した生物(有機体)のように様々な部分が関連し分業しながら成り立っている。
  • より活力のある社会にしたいなら、社会の各部門や各個人を自由で平等にせねばならないので、支配者からの干渉を無くさす必要がある(= 自由放任主義:レッセフェール)

しかも、スペンサーは進化論的にも社会を分析していたので、社会は必然的に自由放任主義に到達するとも考えていたようです。

整理すると、一言で言えば、

社会有機体説とは社会を生物(有機体)との類比で捉えることなのですが、自由放任主義を擁護する目的もあったことを押さえておきましょう。

2.国家有機体説とは

国家有機体説も国家を生物(有機体)との類比で捉えるのですが、理想とする体制は社会有機体説とは真逆です。

こちらも藤井氏はかなり良いものとして捉えているようなのですが、非常に危険な面もあるので注意しましょう。

2-1.国家は個人より優越する

国家有機体説においては国家は個人よりも優越しています。

要するに

全体主義的で、しかも[一部の特権階級が国家の在り方を決める]という身分社会を容認します。

国家有機体説を唱えたアリストテレスの言葉を引用しましょう。

ポリスは自然的に個々の人間よりも先なるものである。というのは、全体は必然的に部分よりもより先であるからだ。なぜなら、体全体が滅びれば、足も手も名前の上でだけしか存在しないだろう。

出典元:アリストテレス『政治学』

アリストテレスが言っているのは極めて論理的なものです。手足を含めた体全体が滅びれば、必然的に手足も滅びます。

この時点では「確かに」と言った感じなのですが、まだ続きがあります。

2-2.互換関係ではない

体の各器官は相補的な関係ですが、互換的な関係ではありません。

手足や頭は互いに支え合っていますが、手が足の代わりになったり頭が手の代わりになったりはしないですよね。

同じように、国家の各部門(というか身分)は入れ替わることは出来ないと国家有機体説では考えます。

ポリスとは | アテナイとスパルタ住むならどっち?で書いた通り、古代ギリシャ人が暮らしたポリス極端な身分社会でした。

国家有機体説と絡めて考えると、

  • 奴隷→ 主に農業に従事する。
  • メトイコイ→ 主に商工業に従事する。
  • 市民→ 主に兵役に従事する。

このようにそれぞれの身分にはあてがわれた役割があるのですが、こららの身分は後天的に変更できないというわけです。

しかし、厳密に言えば職業の変更が出来ないわけではありません。奴隷は主人によって業務が決められるのですが、

メトイコイは職人になったり商人になったり教育者になったりします。

さらに言えば、アテナイでは奴隷が解放されメトイコイになることもあったし、

アリストテレスのような名声も実績もある人間ですら、市民になれずメトイコイのままでした。

要するに

国家有機体説は市民の身分を保証するものだったのです。

※メトイコイについては

2-3.アリストテレスの真意は?

問題点はこれだけではありません。

市民は国家の魂の部分(政治や文化活動)も担うとされていました。

食料や物質的な面での必要は「単に生きる」ためのものであり、動物の次元にあるものです。

人間が「善く生きる」ためには、その土台の上に魂が無ければなりません。

同じように「善い国家」には生活必需品を供給する層の上に、魂の部分を担う市民が君臨せねばならないのです。

アリストテレスの有名な言葉に「人間はポリス的動物である」があります。では、なぜポリスのような共同体を作るのかというと、

人々が共同体をつくるのは、ただ単にいきるためではなくて、善く生きるためである。そうでないとしたら、奴隷たちやその他の動物たちのポリスもあったことだろう。

出典元:同上

しかし「善く生きる」ことを実現しているのは市民のみであり、「善い国家」というのも市民にとって善いだけではないでしょうか。

これに対して、アリストテレスは、

生まれつき自由な身分である人がいるように、生まれつき奴隷である人もいる。後者にとっては、奴隷の状態が有益にして正義なのである。

出典元:同上

このように苦しい見解を述べています。もちろん、アリストテレスは自分の主張の歪さに気付いています。

ただし、逆の見解を持つ人々もある意味では正しいことは、容易にわかる。

出典元:同上

現に、古代ギリシャでは戦争捕虜や身売りした人間たちが奴隷になっていました。彼らは生まれつきの奴隷ではないのです。

それでは何故、アリストテレスはこのように矛盾したことを言ったのでしょうか。

もしかしたら

「人間は所詮、善く生きるために奴隷のような存在を必要とする生き物だ」という人間の本性について語ったのかもしれません。

現に、人間は一度も平等な社会を経験していないのです。

以上です。ありがとうございました。
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