モルモン教とは | 一夫多妻やその他の教え,モルモン書も解説


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今回はモルモン教(Mormon)の紹介をします。

なお

当サイトは宗教への理解を目的としており、特定の宗派の信者を増やす力はもっていません。

というわけで、まずはモルモン教の客観的なデータを記述します。

  • 指導者】ジョセフ・スミス・ジュニア(1805-1844)
  • 設立年】1830年
  • 創設地】アメリカ合衆国ニューヨーク州のフェイエット
  • 正式名称】末日聖徒イエス・キリスト教会(The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)
  • 略称】LDS教会(LDS Church)
  • 信徒数活動国・地域数】1600万人以上、約180
  • 名前の由来】聖書とは別のイエス・キリストについての証である『モルモン書(The Book of Mormon)』

上記の通り、正式には「末日聖徒イエス・キリスト教会」なのですが、一般的には「モルモン教」の名で知られています。

よって、今回の記事では「モルモン教」と明記していきます。

1.モルモン書とは

モルモン教が他のキリスト教系の宗派と明確に違うところは『モルモン書(旧称:モルモン経)』を聖典にしているところです。

※モルモン教の分派であるコミュニティ・オブ・クライストも聖典にしています。

位置づけとしては、

モルモン書は聖書に取って替わるものではなく,むしろ,神とイエス・キリストについての知識を与えるために補完し合うもの

出典元:末日聖徒イエス・キリスト教会

とのことですが、ジョセフ・スミス・ジュニアによると、

モルモン書の教えを守ることにより、他のどの書物よりも増して神に近づくことができる。

とのことなので、モルモン教では最も聖霊の力を感じられる書物として重要視していると言ったところでしょう。

1-1.ジョセフ・スミス・ジュニアによる発掘と翻訳

現在『モルモン書』として伝えられているものは、ジョセフ・スミス・ジュニアが書いたものではなくスミスが翻訳したものです。

その辺の経緯をまとめておきましょう。

  • 【1823】17歳になったスミスのもとに天使モロナイが訪れ、アメリカ大陸の先住民の歴史を記録した金版の存在を告げる。
  • 【1827】21歳になったスミスは天使モロナイに導かれ、ニューヨーク州ウエイン郡にあるクモラの丘で、その金版を掘り出す。この金版を翻訳したものが『モルモン書』。

ちなみに、この金版は翻訳語に天使に返還したため、もうこの世には存在しません。

しかし

この金版の存在はスミスを含めた11人が証言しているようです。

1-2.モルモンとは

金版には様々な預言者による古代のアメリカ大陸の歴史が記録されていました。

その最後の預言者が『モルモン書』の名前の由来でもあるモルモンです。

モルモンは子である預言者モロナイに金版を託し、モロナイはクモラの丘にこれを埋めます。

スミスのもとを訪れた「天使モロナイ」はおそらく、このモロナイが神の使いになったものでしょう。

1-3.何が記されている?

大まかに言うと、金版には、

紀元前600年頃にエルサレムからアメリカ大陸に渡った人々とその子孫の記録で、善悪や戦争について書かれていました。

何故それがキリスト教と関係があるのかというと、

この中にはイエス・キリストの誕生と死、そして復活したイエスがアメリカ大陸に訪れることが予言されていたからです。

ちなみに、イエス・キリストがアメリカ大陸に訪れたのは紀元34年頃で、その様子は2500人が目撃したそうです。

1-4.外部の反応と批判

モルモン書に対する他宗派による見解科学的根拠についても明記しておきましょう。

まず

他宗派からは、モルモン書は聖典だと認められていません

次に「科学的根拠はあるのか」についてなのですが、

  • モルモン書ではアメリカの先住民はエルサレムから移住してきたヘブライ人ということになっているが、DNAの研究の結果アメリカの先住民はモンゴロイドであることがわかった。
  • 当時アメリカ大陸には存在しなかったイチジクやオリーブが登場する。

などの点から科学的には矛盾が見られます。とは言うものの、

宗教の基本姿勢は「不合理ゆえに我信ず」であり、実際に霊力や奇跡があるのなら科学的矛盾はどうでもよいということかもしれません。

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2.モルモン教の教義

もう一つ、モルモン教が他宗派と違うところは原始キリスト教の復活を掲げているところです。

これによってモルモン教は、一夫多妻制や神権や神殿といった諸制度も復元させます。

※原始キリスト教とはキリスト教の成立からカトリシズムの開始までの時期のキリスト教のこと。詳しくは、

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※ちなみに、エホバの証人も原始キリスト教の復活を掲げています。

2-1.神権について

ジョセフ・スミス・ジュニアの経歴の続き。

  • 【1829】23歳になったスミスのもとに洗礼者のヨハネが訪れ、アロン神権を授ける。さらに、ペテロとヤコブとヨハネからメルキゼデク神権を授けられる。
  • 【1830】原始キリスト教会の復元と称した末日聖徒イエス・キリスト教会を創設。

アロン神権とメルキゼデク神権は共に「原始キリスト教的な機能」とされています。

2-1-1.アロン神権とは

面接等を経て適任である男性会員に授けられる、聖霊の力や聖職のこと。

執事は12歳以上、教師は14歳以上、祭司は16歳以上でなれるようです。

祭司になると洗礼(バプテスト)と聖餐のサクラメントを行えます。

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2-1-1.メルキゼデク神権とは

18歳以上の適任である男性会員には、長老・大祭司・七十人・祝福師・使徒といった重要な聖職が授けられます。

優秀であれば18歳で長老や大祭司になることもできるのですが、

女性には授けられない、黒人にも1978年までは授与されなかったという問題点もあります。

2-2.一夫多妻制について

モルモン教が一夫多妻制(多妻結婚)を布いていたのは有名な話です。

スミスには生涯60名以上も妻を持った、その内最年少は14歳だった、多くは半ば強引に結婚をさせられた

などの説もあり、彼らの一夫多妻制自体も当時から非難されていました。

しかし

1890年、四代目大管長ウィルフォード・ウッドラフによって中止が決定されます。

2-3.神殿について

モルモン教徒が[昇栄(詳しくは後述)]するためには、神殿でエンダウメントや神殿結婚などの儀式を受ける必要があります。

よって、モルモン教にとって神殿は必要不可欠な存在なのですが、

行われている儀式の様子は口外無用の為、部外者には知らされません。

一般人も日曜日の集会所には行けるのですが、神殿はたとえ信徒であっても推薦状がないと出入りできないようです。

2-4.昇栄とは

モルモン教では死後の世界は4つあると言われています。

  1. 「日の栄」の王国洗礼(バプテスマ)を受け、様々な戒律を守り、神殿で全ての儀式を受けたもののみが入国を許されるこの上なく素晴らしい場所。ここに行くことを[昇栄]と呼ぶ。
  2. 「月の栄」の王国→イエス・キリストの教えに従う者が行く場所。
  3. 「星の栄」の王国→イエス・キリストの教えには従わずとも、聖霊の力を否定しない者が行く場所。
  4. 外の暗闇→聖霊すら否定する者が行く永遠の地獄

モルモン教での洗礼方法は浸礼で8歳から受けられます。つまり、幼児洗礼はありません。

また、特徴的なものとして「死者のための代理洗礼」があります。

これは生前モルモン教とは関りがなかった者を昇栄させるために代わりに洗礼を受けるもので、神殿で行なわれます。

ちなみに神殿は現在世界各国の約150カ所にあり、日本には東京と福岡と北海道の3カ所にあります。

2-5.政治参加と兵役

エホバの証人とモルモン教は、近い時期に同じアメリカで生まれたため比較されることが多々ありますが、

エホバの証人は政治参加も兵役も拒否するのに対し、モルモン教はどちらも拒否しません

有名なのはアメリカの実業家・政治家であり、敬虔なモルモン教徒であるミット・ロムニーでしょう。

ロムニーは現在ユタ州選出の上院議員で、過去にはマサチューセッツ州知事を務め2012年には大統領選挙共和党指名候補にもなりました。

(※結果はバラク・オバマに敗北。)

兵役は拒否しないものの戦争は反対のようです。

例えば

アメリカの原爆投下に対しては厳しく非難しています。

3.モルモン教の歴史【1831年以降】

ロムニーがユタ州で出馬したことは偶然ではありません。

現在世界各所で、モルモン教徒が人口比で最も多いのはユタ州で、その人数は州人口のなんと7割程度にも及ぶそうです。

モルモン教はニューヨーク州で始まりましたが、現在本部があるのはユタ州のソルトレイクシティです。

なぜ本拠地が移ったのか、その辺の経緯も探っていきましょう。

3-1.スミス暗殺まで

  • 【1831】教会本部をオハイオ州カートランドに移す。ここで「エノク共同体」という完全に財産を共有した共同体を形成する。
  • 【1838】「シオンの国」建設のためミズーリ州へ向かうが、住民とトラブルが発生。それが「モルモン戦争(ミズーリ)」と呼ばれる武力紛争にまで発展する。
  • 【1839】スミスらはイリノイ州ノーブーに逃れる。
  • 【1844】反逆罪で収監中のスミスとその兄が、暴徒と化した住民に殺害される。その後二代目大管長としてブリガム・ヤングか選出される。

現在は反戦の立場ではあるものの、この時期のモルモン教は激しい闘争を経験しているようです。

さて

指導者のスミスが39歳の若さで亡くなった後、モルモン教はいくつかのグループに分裂していきます。

3-2.コミュニティ・オブ・クライストとは

先ほどモルモン教の分派であるコミュニティ・オブ・クライストの話をしましたが、

これはスミスと正妻エマの子であるジョセフ・スミス・三世を、スミスの正統な後継者として中心に据えたグループです。

彼らはミズーリ州に戻り宗教活動を展開します。

一方ブリガム・ヤングを中心に据えたモルモン教は西へと進み、1847年にユタ州のソルトレイクシティに辿り着きます

なお

この2つ以外にもグループはあったのですが全て消滅したようです。

3-3.ユタ戦争の勃発

  • 【1857】モルモン教団とアメリカ陸軍との間でユタ戦争が勃発。
  • 【1877】ヤングが死亡。その後三代目大管長としてジョン・テイラーが選出される。
  • 【1890】四代目大管長にウィルフォード・ウッドラフが選出される。

一教団がアメリカ陸軍と戦争できるほどの武力を持っていたことが既に驚くべきことなのですが、

当時のソルトレイクが辺境の地で補給が困難だったこともあり、陸軍とかなり善戦したそうです。

その後教団と連邦政府は和解するのですが、

1890年にウッドラフが一夫多妻制の撤廃を宣言したのは、地域住民やアメリカ政府との軋轢を避けるためだと言われています。

しかしこれ以降モルモン教はアメリカ社会に適応し、信徒を急速に増やすことに成功していくのです。

以上です。ありがとうございました。
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