ミメーシス(mimesis)は[模倣]を意味するギリシャ語です。
この言葉は、プラトンやアリストテレスから芸術の本質を特徴づけるために使われたことで有名です。
ですが、なんとなくプラトン哲学の用語だと思っている方も多いのではないでしょうか。
プラトンは著作『国家』の中で派手にボロクソに叩きました。
※アリストテレスは「ミメーシス」を肯定的に使っています。
ここで一応補足しておきたいのですが、
「芸術(特に詩)は現実のミメーシスである」という見方は古代のギリシャでは一般的だったようです。
※「現実のミメーシス」とはフィクションのことだと思ってください。
例えば、プラトンやソクラテスの宿敵のような存在だったゴルギアスは
(悲劇においては)幻惑をつくりだす者は、それに失敗した者よりも正しく、幻惑される者は、そうでない者よりも賢い
という言葉を残しています。
※ここでの[悲劇]とはホメロスなどが書いたギリシャ悲劇のことです。
ゴルギアスの言葉は[詩]や[ミメーシス]に対する礼賛を表明しているのですが、文体もまた詩的であることがわかります。
プラトンはこの書き方が気に入らなかったわけではありません。なぜなら、彼は、
真似の術とは、それ自身も低劣、交わる相手も低劣、そして産み落とす子供も低劣、というわけだ
出典元:プラトン『国家』
このような超詩的でオシャンティーなことを言っているからです。
ではプラトンは[詩]や[ミメーシス]の何が気に入らなかったのか、を見ていきましょう。
1.プラトンのミメーシス論
プラトンによる[詩]や[ミメーシス]への批判は、対話篇『国家』に記されています。
『国家』にはプラトン哲学の代名詞である「イデア論」も登場するのですが、[詩]や[ミメーシス]もこのイデア論の観点から語られる。
というのがポイントです。
※イデアは真実の姿やあるべき姿を意味する概念だと思ってください。
イデア
1-1.二重のミメーシス
プラトンの理論をまとめるとこのようになります。
- イデアのミメーシス(模倣)が[現実]である。
- 現実のミメーシス(模倣)が[詩]である。
というわけで[イデア→現実→詩]と経るに従って、イデアの持つ真実性から遠ざかるわけです。
[橋本環奈→そのモノマネをする人→その隣の家に住む人]みたいな感じです。
これでは温厚なプラトンも「何なんだね君たちは!出て行ってくれたまえ(# ゚Д゚)」と言って怒るわけですね。
プラトンは「理想的な国家からは詩人は追放するべきだ」と主張しましたが、これを[詩人追放論]と言います。
さて、これで冒頭に引用した文の意味もわかるようになるでしょう。
「真似の術とは、それ自身も低劣、交わる相手も低劣、そして産み落とす子供も低劣、というわけだ」
これを解読すると
[交わる相手 =現実]の真似の術で[産み落とす子供 =詩]
となります。
1-2.ゴルギアスの美学
ゴルギアスにも触れておきましょう。ゴルギアスの思想をまとめると、
- 真実の姿(イデア)などはなく、あったとしても人間にはわからない。
- 言葉の現実性は、物事の正しい答えへ辿り着くための論理性にではなく、正しいと思わせる説得力にある。
この観点から、ゴルギアスは
(悲劇においては)幻惑をつくりだす者は、それに失敗した者よりも正しく、幻惑される者は、そうでない者よりも賢い
という詩的で格言めいた言葉を残します。
詩的で格言めいた言葉は心に残りますよね。よって、一種の説得力だと考えられます。
ゴルギアスは、まさにそれを作る達人でした。
「幻惑される者は、そうでない者よりも賢い」というのは感受性の強さを現しています。
対するプラトンは感受性などには重きを置かず、正しい認識力を重要視していたようです。
ゴルギアス
1-3.詩人追放論
プラトンが[詩]や[ミメーシス]を批判する理由はまだあります。
「詩は魂の低劣な部分を呼び覚ます」と言うのです。
これに関しては説明不要でしょう。
親が子どもにお下品系のバラエティ番組やアニメを見せたくないのと同じ感覚で、プラトンはこのように言っているのです。
『国家』は教育論でもあるので「学習のカリキュラムに詩を入れたくない」という意味合いもあったのでしょうが、
もっと積極的に「詩人自体を国家から追放したい」とか「プライベートでも市民には詩を読ませたくない」という意味合いもあったようです。
プラトンは詩人を、アテネ市民の民度を下げるデマゴーグやソフィストと同じような輩と考えていたのでしょう。
※[ソフィスト]については
準備中
しかし、まあプラトンがギリシャ悲劇を危険視していたのもわかります。
ホメロスなどが描写する神々は性格が破綻しています。
彼らは嫉妬し、怒り狂い、騙し、不倫をし、飲んだくれでもある。暇つぶしで人間の運命を狂わせることもあります。
ちなみに、ソクラテスもホメロス的なギリシャの神々をdisりまくっていましたが、これが彼の死刑の原因の一つと言われているようです。
準備中
2.アリストテレスのミメーシス論
続いて、アリストテレスのミメーシス観について書いていきます。
アリストテレスは[詩]や[ミメーシス]をかなり肯定的に捉えていたようです。
2-1.自然な傾向
アリストテレスにとって[ミメーシス]とは
- 人間に生まれつき備わった自然な傾向。
- 模倣されたものを喜ぶことも人間の自然な傾向。
確かに我々は、全てを一から教えられたわけではなく、
親や周りの人の行動を見て学ぶ、言葉に関しても聞いて学ぶことで知識を得て成長してきましたよね。
[ミメーシス(模倣)]は人間にとって必要不可欠なのです。
2-2.悲劇とカタルシス
「模倣されたもの」としての[詩(特に悲劇)]にもアリストテレスは高い評価をしています。アリストテレスによると、悲劇は、
あわれみとおそれを通じて感情のカタルシス(浄化)を図るもの
だそうです。
これも我々の経験からして妥当でしょう。感動する物語で泣いたり、怖い話で叫んだりするとスッキリしますからね。
2-3.徐々に普遍的な認識へ
[詩]や[詩作(ポイエーシス)]にはまだ重要な役割があります。
詩人の仕事はすでに起こったことを語ることではなく、起こりうることを、すなわち、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを、語ることである。
出典元:アリストテレス『詩学』
「すでに起こったことを語る」のは歴史家の仕事です。アリストテレスは「歴史は個別的なことを語る」とも言います。
歴史的な真実はたった一つしかないから「個別的なこと」を語らざるを得ないわけですね。
詩人は「起こりうること」を語るのでいろいろなパターンを人々にシミュレーションさせることが出来ます。
優れた洞察力を持っていれば「必然的な仕方で起こる可能性のあること」をも語ることが出来ます。
つまり、詩人は「より多くの認識」を社会に残せます。そして、「より普遍的な認識」に近づくことが出来るのです。
これはイデアを[想起(アナムネーシス)]することで一気に真理に辿り着くというプラトンの想定とは対極の考え方だと言えます。
※[想起(アナムネーシス)]については
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