わざわざ「大衆とは何か」を調べる方は「大衆」の辞書的な意味ではなく、社会学や哲学における「大衆」の意味を知りたいのだと思います。
一応、辞書的な意味を確認すると…
たい しゅう [0]【大衆】
①多数の人々。多衆。
②労働者・農民などの勤労者階級。一般庶民。民衆。
③社会学で、階級・階層などの社会集団への帰属意識をもたない多数の人々から成る非組織的な集合体。 → 民衆(補説欄)
出典元:三省堂 大辞林 第三版
①②は一般的な意味で、これに関しては悪いニュアンスはありません。
しかし、先日亡くなった保守思想の大家である西部邁氏によると…
英語のマスに「大衆」という訳語を宛がって平然としてきたのは日本の学者連中の(怠慢というよりも)愚昧のせいである。なぜなら社会学に大衆論というものがあり、そこでのマスとは、心性と行動において「劣等な質を持つ人々の群れ」のことだとされてきたのだからである。
出典元:西部邁『保守思想のための39章』
意訳すると、
英語のmass(マス)は社会学的には悪い意味の言葉なのに、「大衆」という特に悪いニュアンスのない言葉で訳すなよ馬鹿学者ども(๑`^´๑)
とのことです。「大衆」という訳語では彼らの本来の俗悪さが表現できないわけですね。
そこで今回は「大衆」の社会学・哲学的な意味を大衆論に沿った形で紹介するのですが、
『三省堂 大辞林 第三版』に大衆の類義語として「庶民」「民衆」と明記されていますがこれらは本来類語ではありません。
さらに言えば『三省堂 大辞林 第三版』の③の意味も「民衆」の定義であって、おそらく「大衆」の定義ではありません。
これらのことを念頭に置きつつ読み進めて行ってください。
目次
1.大衆の行動パターン
大衆論には約200年にも及ぶ歴史があり、様々な人々がそれぞれの言葉遣いで大衆批判を展開させてきたのですが、
大衆とは何か、わかりやすく言うとこのようになります。
大衆の特徴
- マスメディアの扇動に流されやすい。
- カリスマ的リーダーを有難がり、自ら進んで従おうとする。
「マスメディア」と言うと「マスコミ」を連想しニュース番組や新聞をイメージする方もいるかもしれませんが、
「マスメディア」とは新聞・雑誌・ラジオ・ テレビ・映画などの媒体の総称のことです。
1-1.マスメディアに作られる
よって、マスメディアの扇動に流されやすい人々とは
- 健康番組で「もやしは身体に良い」と知ると、理屈はわからなくてもとりあえず次の日もやしを買う。
- 変な芸人が「今流行りの人」として売り出されていると、熱中し軽いモノマネとかしてしまう。
このような人たちのことでもあります。
「流行り」つまり、情報だけではなく周りの人にも流されやすいというのは大衆の大きな特徴です。
「自分は面白くないと思うけど皆にウケるから皆のレベルに合わせてモノマネしてるだけさ」的な上から目線大衆もいます。
「自分は周りとは違う」と言いながら思いっきり周りの目を気にし、周囲の人に流されているわけですね。
1-2.カリスマへの傾倒
②は①とセットで考えてください。
- マスメディアを巧みに使って世論を操る政治権力者。
- マスメディアによってゴリ押されたタレントやアイドル。
こういったカリスマたちを殿上人のように思うのが「大衆」です。
「政治権力者-大衆」という組み合わせに対する批判はポピュリズム批判や衆愚政治批判といった形で社会学や哲学では盛んにされています。
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「大衆的スター-大衆」という組み合わせに対する批判はアドルノやホルクハイマーなどのフランクフルト学派が登場して以降盛んです。
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ところで、大衆的アイドルや大衆的アーティストなどの名称は果たして良い意味で使われているのでしょうか。
「大衆的人気」を誉め言葉として使っている方もいますが、実際のところどうなのでしょう。
逆に、大衆的ではないアーティストは「売り上げではなく独自の音楽を求めている」とか言われて褒められている気がします。
2.大衆の性質
以上の2つの「大衆」の基本的な特徴は「どのような行動をしがちなのか」で大衆を定義したのですが、
今度は「どのような性質をもっているのか」を記述します。
2-1.画一化
大衆は画一化されているとよく言われます。
「画一化」とは個性がなくなり同じような存在になるということなのですが、何故そのようになるのかというと、彼らは
- マスメディアが作った流行や標準に敏感で、同じ商品を消費したがる。
- マスメディアと連動したカリスマ的リーダーに過度に同調する。
という性質を持っているからです。このように書くと、
「一億総白痴化」という言葉でも知られる20世紀以降の「テレビ文化」や「テレビ大衆」を指していると思われているかもしれませんが、
先述したように、新聞や雑誌などのメディア(情報媒体)も考慮せねばなりません。
大衆批判の先駆者でもあるトクヴィルは新聞によって画一化された人々を批判していました。
2-2.モデル化・単純化
そもそも大衆の萌芽は「近代」にありました。
※「近代」や「近代主義」「近代化」などは社会学や哲学で非常に重要なキーワードです。あまりピンと来ないという方はこちらもご覧ください。
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「近代」にはいろいろな特徴がありますが、西部氏はこのように言います。
モデル(模型)化を是とするという意味で近代主義には「単純化への熱狂」といった色合いがある。
出典元:同上
「モデル」という言葉が悪い意味で使われていますが、もちろんミランダ・カーのような職業モデルをディスっているわけではありません。
そのようなカリスマに過度に自己同一化し、画一化してしまった人たちは大衆と呼ばざるを得ないでしょう。
ここでのモデルの意味は「このように生きれば社会的に成功したと言える」という標準のようなものです。
「単純化」も似たような意味で、このように考えれば無難だと言った感じで自分で深く物を考えなくなったというニュアンスです。
2-3.大衆人の見本は専門人である
「社会の指導者階級や知識人やエリートに対する特権を持たない人びとが大衆だ」と説明する方もいますが、
社会学・哲学的な定義ではそれは違います。
大衆社会においては指導者や知識人やエリートもモデル化・単純化されているからです。
「マニュアルや前例通りやってればいい」「組織の方針に則っていれば出世できる」といったメンタリティーを持ってしまっているわけですね。
哲学者のオルテガはそのような状況を鑑みて「大衆人の見本は専門人である」と言い放ちました。
3.類義語や豆知識
先ほどの「指導者階級や知識人やエリートに対する特権を持たない人びと」はむしろ「民衆」の定義でしょう。
3-1.民衆とは
国家や社会における支配階級に対する被支配階級の人々のこと。
ユゴー原作でミュージカルでも有名なレミゼラブルに「民衆の歌」がありますが、あれはまさに、
被支配階級の人々が支配階級に対して闘いを挑むときの歌でした。
また「庶民」も大衆とは区別して考えなければなりません。
3-2.庶民とは
共同体のメンバーとの絆や慣習を大切にしながら慎ましやかに生する人々のこと。
「庶民」や「庶民的」は通常良い意味で使われます。
雑誌やテレビの中のスターに惹かれ、せわしなく消費活動や物質的快楽を求める「大衆」とは違い牧歌的なイメージで語られることが多いようです。
他にも類義語と思われているものとして「市民」があります。
3-3.市民とは
都市に住む人。または国政への参政権を持つ人々。
これも基本的には肯定的に使われます。
主権者として国や社会の在り方の決定に積極的に関わること推奨するために「若者よ、市民になれ!」的なことを社会学者はよく言います。
3-4.語源
ちなみに、「大衆」はもともと仏教用語だったようです。意味的には僧兵の集団や天台宗で役職につかない学僧のこと。
世俗的なものから一番遠そうなお坊さんたちを指していた「大衆」が、なぜ俗悪や物欲まみれの人々をさすようになったのでしょうか。
ビックリ仰天ですよね。
※その他の類義語として「群衆」もありますが、これについては後日解説しようと思います。
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