実存主義とは何か→ヤバイ思想で批判だらけ?サルトルについても


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今回は「実存主義」とは何かを解説していくのですが、『実存主義とは何か』というサルトルの著作についても解説していきます。

注意

本稿ではサルトル的な実存主義を解説します。「実存」について考えた哲学は他にも多くあります。

それらの哲学についてはこちらをご覧ください。

それでは本編に入りましょう。

1.「実存主義」とは何か

適当なことを言っていると思われないために、まずは辞書(Weblio辞書)を引きます。

じつ ぞんしゅぎ [5] 【実存主義】 〔フランス existentialisme〕

〘哲〙 人間の実存を中心的関心とする思想。一九世紀中葉から後半にかけてのキルケゴール・ニーチェらをはじめ、ドイツのハイデッガー・ヤスパース、フランスのサルトル・マルセルらに代表される。

合理主義・実証主義による客観的ないし観念的人間把握、近代の科学技術による人間の自己喪失などを批判し、二〇世紀、特に第二次大戦後、文学・芸術を含む思想運動として盛り上がった。実存哲学

出典元:三省堂 大辞林 第三版

人名と四文字熟語がいっぱいですね (´・ω・`)

これから解説をしますが、その前に一応言っておくと、

  • キルケゴール・ニーチェセーレン・キルケゴールという人とフリードリヒ・ニーチェという人。
  • ハイデッガー・ヤスパースマルティン・ハイデッガーという人とカール・ヤスパースという人。
  • サルトル・マルセルジャン=ポール・サルトルという人とガブリエル・マルセルという人。

を指しています。

※「実存哲学」と「実存主義」は厳密には違います。

1-1.実存の意味

そもそも「実存」とは何なのでしょうか。理解するには対義語を考えれば良いでしょう。

実存の対義語は「本質」です。

本質とは

それがどんなものなのかを理解するうえで欠かせない条件。例えば「家」の本質は人間が住めること。

また、あらかじめ決められている目的というニュアンスもあります。

対して、

実存とは

今ここにある、ありのままの状態のこと。「どんなものなのか」を規定されずにただ存在するということ。

この区別がついたら実存主義とは何かはわかったも同然です。

1-2.実存主義とは

「実存は本質に先立つ」という考え方、およびこの考え方をもとにした哲学・文学・芸術

「実存は本質に先立つ」…これを理解するためには先ほどと同様、これと全く反対の言葉である、

本質は実存に先立つ」とはどういう状態かを考えてみましょう。

1-2-1.道具と人間

サルトルはペーパーナイフを例に出します。

ペーパーナイフは「物体」であると同時に、モノを切るという「用途」もあります。そして、用途に従って作られています

ペーパーナイフにはあらかじめモノを切るという用途がある。この場合の用途は「本質」と言い換えられるでしょう。

つまり

ペーパーナイフのような道具本質は実存に先立つわけです。

しかし人間は違います。

「木こり」は木を切るための職業ですが木を切るために生まれた「人間」はいません

つまり

われわれ人間実存は本質に先立つわけです。

このように

実存主義は極めて人間的な考え方です。サルトルは「実存主義はヒューマニズムである」という言葉(正確には著作)も残しています。

「ヒューマニズム」は多様な言葉であり、これの解釈によっては実存主義やサルトルへの批判にもつながります。

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1-2-2.希望と絶望

人生には科学的な法則設計図があるわけではなく、われわれは何者でもない者として、突然世界に産み落とされます。

すると、われわれは自分の生き方は自分で選ばなければならないし、自分で決めのだからその選択に責任を負わなければならないですよね。

この状況に対してどう感じるでしょうか。

力強さ希望を感じる人もいるかもしれませんが、サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」絶望も感じていたようです。

でも、その絶望があるからこそ一歩踏み出せる自分に力強さを感じるという面もあります。

1-2-3.実存主義と神

「人生に設計図はない」などと言うと「実存主義は神を否定しているの?」と思う方もいるかもしれませんが、

サルトルによると

  • 有神論的実論主義→ヤスパースやマルセルなど。
  • 無神論的実論主義→ハイデッガーや自分(サルトル)など。

というふうに分かれるそうです。

ハイデッガーのキャリアは神学の研究から始まるので「神のような存在」を否定していたのかはわかりませんが、

サルトルはかなり否定的なようです。

例えば、このように言っています。

たとえ神の存在の有効な証明であろうとも、何ものも人間を人間自身から救うことはできないと納得しなければならない。

出典元:J.P.サルトル『実存主義はヒューマニズムである』

※「神の存在の有効な証明であろうとも」とは神の存在がわかってもということ。

要するに、サルトルは

少なくとも、絶対的な救済者としての神は信じていませんでした。「自分の人生は自分で切り開かなければならない」ということですね。

「神の存在証明」や「有神論」は宗教者や神学者だけではなく哲学者の大きな関心事の一つです。興味のある方は

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というわけで実存主義のエッセンスを簡単に紹介しましが、励まされる人も多かったと思います。

しかし

実存主義は突き詰めて考えると悪い部分もかなりあるので次はそれを紹介しましょう。

2.「実存主義とは何か」について

次はサルトルの著作『実存主義とは何か』の解説をします。

これは著作というよりも『実存主義はヒューマニズムである』や『実存主義について』などの講演や討論の記録集です。

よって、読みやすいので実存主義の入門書としておすすめです。

しかし

哲学の入門書としてはおすすめしません。なぜならこの著作は批判が多く、哲学と言えるほどには洗練されていないからです。

それではどのような批判が浴びさせられているのでしょうか。

2-1.二つの批判

実存主義はヒューマニズムである』はサルトルが自身に向けられた批判に反論するという内容です。その批判とは、

実存主義は、

  1. バラバラの個人の意識から出発するので人類は連帯できない
  2. 戒めや価値や道徳を無意味にするため、各人は自分勝手に行動するし自己中心的な人間をだれも止めることができない。

至極まっとうな批判ですね (´・ω・`)

しかし、残念ながらサルトルはこれらの批判に答えられていません

2-1-1.①について,アンガージュマン

の批判は今日の進化心理学的観点から言えば非常にクリティカルな批判です。ザックリ言えば、

人間には個人的な欲望対人関係(1対1)の意識ある集団の一員としての意識があります。

これらの葛藤の中で人間は生きているのですが、中でも一番強いのが「集団意識」です。

サルから進化した人間には「自我」が芽生える以前の、しかも集団で暮らしていた猿だった頃の身体構造が土台として残っているからです。

進化心理学以前も「集団心理」「(集団的)アイデンティティー」「エートス」「集合的無意識」「大衆心理」など、

いろいろな観点から「集団としての意識や行動パターン」は議論されてきました。

サルトルの時代は「大衆心理」についての議論が盛んになされていたはずなのですが、なぜか彼は「個人の意識」だけを問題にしています。

これでは人類の連帯は生まれません。

ここでサルトルはあの有名な「アンガージュマン」という概念を持ち出して批判に答えようとするのですが、微妙な感じです。

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2-1-2.②について,仕方ないのじゃよ (・ิω・ิ)

実存主義は人を殴る自由を認めています。

正確には

人を殴る選択肢と人を殴らない選択肢を同価値にしています。

しかしこれだと社会は崩壊するのですが、サルトルは道徳についてどう考えていたのでしょうか。

人はつねに「もしみんながそうしたらどうなるか」と自問すべきであり、一種の欺瞞によってしか、人はこの不安な思考をのがれることはできない。嘘をいい、「みんながそうするのではない」と公言することによって言い逃れをする人は良心にやましい人間である。

出典元:同上

確かにそうですが、

実存主義ではいかなる「すべき」という命令も「良心」という一種の本性も無効化されているはずです。

そもそも

神の教えすら「知らねーし ( ゚∀゚)っ」というのが実存主義なのに誰がサルトルおじさんの言うことを聞くのでしょうか。

しかし、サルトルは自分の主張を皆が受け入れたら世界は滅茶苦茶になることもわかっていたようです。

ファシズムは人類の真理となるだろうが、それも致し方ないことである。実をいうと、物事は人間がそう決めたとおりのものになっていく

出典元:同上

仕方ないのじゃよ (・ิω・ิ) …だそうです。

2-2.まとめと関連知識

以上の批判からわかるように、実存主義は哲学としては不十分です。おそらく哲学史でも哲学とは考えられていないのではないでしょうか。

しかし

第一章で紹介した話は参考にして頂きたいし、「実存は本質に先立つ」や「アンガージュマン」は使えるフレーズだと思います。

※「実存」や「本質」などに興味が湧いた方はこちらもご覧ください。

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以上です。ありがとうございました。
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