実存の意味 | サルトルの言葉ではない?現実存在についても


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今回は「実存」について解説します。

「実存」と「実存主義」を別項にしたのは実存主義=サルトルの思想だということを強調したかったからです(文字数の関係もあります)。

サルトルの実存主義を知りたい方は

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こちらを読んで頂きたいのですが、

「実存」自体はサルトルが実存主義を提唱する前から、いろんな人が考察してきた重要なテーマです。

よって今回の内容はサルトルの実存主義に興味のある方にもおすすめです。

1.実存の意味

まずは辞書(Weblio辞書)で意味を確認します。

じつ ぞん [0]【実存】( 名 ) スル 〔existence〕

①実際に存在すること。 「彼は架空の存在ではなく-する人物である」

② 〘哲〙

スコラ哲学で、可能的存在である本質に対して、事物が存在することそれ自体をいう語。現実的存在。現存。

実存主義で、特に人間的実存をいう。個別者として自己の存在を自覚的に問いつつ存在する人間の主体的なあり方。具体的状況にある人間の有限性・不安・虚無と、それを超越し本来的な自己を求める人間の運動。自覚存在。

出典元:三省堂 大辞林 第三版

細かい解説をする前に「㋑実存主義」「人間の有限性・不安・虚無」「超越し~」という部分に注釈を入れます。

冒頭でも言った通り「実存主義」といった場合一般的にはサルトルの思想を指すのですが、

「人間の有限性・不安・虚無」や「超越」というのは明らかにハイデガーの思想を念頭に置いています。

さらに言えば「ハイデガーは実存のことも考えていたが実存主義者ではない」と主張する人もいます。

というわけで、ここの「実存主義で」という部分は削った方が良いと思うのですが話を進めましょう。

1-1.実存の哲学

そもそも実存主義自体が、サルトルが「私は実存主義なんか知らない!」と言うほど曖昧なものなのですが、一応、

「実存主義」と「実存哲学」の違いを整理しておきましょう。

実存哲学とは

「自分はなぜこのように存在するのか」という不可解さをとことん問い詰めてゆく哲学のこと。

この「実存哲学」の中にサルトルの実存主義が含まれるという理解でいいでしょう。

「実存哲学」の先駆者はキルケゴールと言われています。

それまでの哲学は「実存」をないがしろにしていたのですが、キルケゴールが大々的に取り上げたわけです。

と言っても、それまでの哲学では「実存」ではなく「現実存在」という言葉を使っていました。

1-2.本質と現実

スコラ哲学の巨星であるトマス・アクィナス「存在」の2つの意味を区分しました。

  1. 本質存在→「~ある」という性質普遍的なことを示すもの。【例文】空は青い。猫は哺乳類だ。
  2. 現実存在→「~ある」というありのままの事実のこと。

例えば「時計」を考えてみましょう。

「時計ってどんなもの?」と問われた場合、時を刻むものと答えたり時計の作り方を答えたり時計の絵を描いたりするでしょう。

それらが「本質存在」です。

しかし

それらの説明だけでは各人が持っている時計の思い出や思い入れのようなものは表現できないでしょう。

現実存在」には他のものとは代え難い唯一性刻まれているにもかかわらず、本質存在による規定ではそれがわからないわけですね。

スコラ哲学からヘーゲル哲学まではそのような唯一性や偶然性を軽視普遍性こそ素晴らしいと謳っていました。

※ヘーゲルの「絶対精神」という言葉を聞いたことはないでしょうか?

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1-3.選んだわけじゃない現実

その流れに一石を投じたのがキルケゴールだというわけです。

以上のように書くと実存哲学はほのぼのした印象をうけるかもしれませんが、その成り立ち方は結構暗澹としています。

キルケゴールは生まれつき背骨が曲がるという身体障害(くる病?)を持っていました。このような特殊性は本質や普遍性の哲学では除外されます。

この避けられないリアルな状況が「実存」という概念につながるのです。

実存とは

自分で選んだわけではないのに背負わされている自分という存在のこと。

キルケゴール的実存をわかりやすく説明するとこのようになりますが、「実存の意味は?」と問われたらこのように答えたら良いと思います。

『三省堂 大辞林 第三版』が参考にしているハイデガー的な意味はやはりややこしいし、後述するように「存在論」として考えられているので。

注意

「実存(現実存在)」はあらゆる現実の存在に使いますがキルケゴール以降は主に人間について語る際に使う言葉になりました。

2.実存の三段階

キルケゴールはスコラ哲学やヘーゲル哲学が求めた万人に妥当する普遍的真理ではなく、私にとって妥当する主体的真理を求めました。

著作ではなく日記の中の言葉ですが、非常に有名な言葉なので引用します。

私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれのために生き、そして死にたいと思うようなイデーを発見することが必要だ。

出典元:キルケゴールの日記

※「イデー」とは真理のこと。

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主体的真理を求める過程は三段階あるそうです。

2-1.美的実存の段階

恋や性的魅力に心が揺れ動く段階。しかし、この段階では嫉妬や退屈さが付きまとう。

2-2.倫理的実存の段階

家庭などの共同体の中で義務を果たそうとする段階。しかし、努力するほど自分の無力さを知り挫折感を味わう。

2-3.宗教的実存の段階

この2つの段階を経て最後にたどり着くのが宗教的実存の段階です。

自分の無力さや罪深さに絶望した人間は神の前に単独者として到達します。

「死に至る病とは絶望である」でお馴染みの『死に至る病』はまさにこの到達へのプロセスを語っているわけですね。

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3.キルケゴール以降と関連語

『死に至る病』は非常に示唆に富んだ著作なのですが、神との関係が明確に残されています。

しかし

次の世代のドイツの哲学者であるニーチェ「神の死」を宣言したのはあまりに有名ですよね。

※ただし、ニーチェもキルケゴールも生前はあまり有名ではありません。

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ニーチェの存在は強烈でニーチェ以降の20世紀の哲学を「反哲学」と呼んだりするのですが、

20世紀初頭のドイツで有名な哲学者はヤスパースハイデガーです。

両者とも実存について考えた哲学者なのですが、前者はキリスト教的、後者は無神論的な実存主義者に分類されます。

ただし、これは冒頭でも登場したサルトルによる分類で哲学史による評価ではハイデガーは「存在論の哲学者」に分類されます。

どのような思想かというと、

  • 人間を存在とは何かと問うことができる唯一の存在と捉え、「存在(Sein)」が開示される「場(da)」として捉え直す。
  • 人間存在を「現存在(Dasein)」と呼び、その本来的な在り方を実存とする。

多くの方がチンプンカンプンと思いますが、「存在」や「現存在」は聞いたことがある方も結構いるのではないでしょうか。

ハイデガーはウィトゲンシュタインに並び20世紀最大の哲学者と称される程の人物なので、

哲学に興味のある方なら避けては通れない哲学者だと思います。

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哲学の中でも、やはり「実存主義」に興味がある方は

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ヤスパースのようなキルケゴールの流れを汲んだ有神論的な実存哲学に興味のある方は

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これらをそれぞれご覧ください。

以上です。ありがとうございました。
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