アンガージュマンとは…カップ麺を批判する思想?


この記事をシェアする

今回は「アンガージュマン」という概念について批判を交えながら紹介していきたいのですが、注意事項が2点あります。

  • アンガージュマンの意味合いは発言者によって微妙に変わりますが、批判するのはサルトル的用法です。
  • 一般的な意味でのアンガージュマンは様々なビジネスシーンでも日常会話でも使えるので例文も交えて紹介します。

第一章で一般的な使い方を紹介して、第二章でサルトルの言葉を交えながら理解を深めるという感じです。

それでは本編に入りましょう。

1.アンガージュマンとは

まずは辞書(Weblio辞書)で意味を確認します。

アンガージュマン [3]【フランス engagement】

〔関与・拘束の意〕

フランス実存主義の用語。状況に自らかかわることにより、歴史を意味づける自由な主体として生きること。サルトル・カミュなどでは、さらに政治的・社会的参加、態度決定の意味をもつ。

出典元:三省堂 大辞林 第三版

このままではわからないと思うので解説していきます。

ポイントは「歴史を意味づける自由な主体として生きる」という所になると思います。

※「実存主義」については

1-1.自分の人生を意味づける

アンガージュマンとは第一に「積極的に関わっていく」ということです。

こう言われると結構使いやすそうですよね。例えば、

  1. 環境が悪いとばかり嘆いていないで環境にアンガージュマンしていくことで生きがいや自分らしさを見つかるかもしれない。
  2. 怖がらないで練習にアンガージュマンすることで自転車にも乗れるようになるわよ。

このように意外と使い勝手が良いのですが、せっかくの思想・哲学用語なのでのようなデカそうなテーマに使いましょう。

そもそも

実存主義自体が「あるべき姿や運命なんてないのだから自分の人生は自分で切り開こう」的な壮大な話ですので。

問題は「歴史を意味づける自由な主体として生きる」の方です。

これはこのように考えましょう。

「歴史→自分の歴史=運命」を自分の力で意味づけながら自由に生きる。

すると、アンガージュマンは

不幸に思える状況にも積極的に関わることで運命を切り開こう

という力強い言葉だとわかるでしょう。

しかし

「嫌な仕事を積極的にやってみたら結構楽しかった」などなら良いのですが、劣悪な労働環境などはやはり看過できないですよね。

そこで「政治的・社会的参加」への必要性が出てきます。

1-2.みんなで協力する必要性

「自分に与えられた状況に積極的に関わる」というのは良い側面もありますが、

「自分の置かれた環境に積極的に関わることでその環境に適応しろ」と言われているようにも感じます。

奴隷のような労働環境に積極的に関わることで奴隷としての運命を切り開けと言われてもですよね。

それに

労働環境を良い方向に変えていくのは一人では難しいでしょう。

よってみんなで協力する必要があります。それが「政治的・社会的参加」への必然性に繋がります。このように、

「風が吹けば桶屋が儲かる」的な感じで個人が自分の人生に積極的に参加することは社会変革につながるというのがアンガージュマンの含意です。

というわけで、アンガージュマンはけっこう使いやすいのに高尚さもあるオイシイ言葉だといえるのではないでしょうか。

しかし、話はまだ終わりません。

2.サルトル的用法

アンガージュマンを語る上でジャン=ポール・サルトルは無視できません。

アンガージュマンの語源は「アンガジェ engager」という【拘束する】という意味の言葉でしたが、それをサルトルが名詞形にしました。

つまり、この言葉の生みの親なのですがサルトル自体は結構おかしな主張が多いので批判も多いようです。

難しい議論はさて置きこれを見てください。

2-1.全人類が云々かんぬん

われわれが、人間はみずからを選択するというとき、われわれが意味するのは、各人がそれぞれ自分自身をを選択するということであるが、しかしまた、各人はみずからを選ぶことによって、全人類を選択するということも意味している。

出典元:J.P.サルトル『実存主義はヒューマニズムである』

少し難しいかもしれませんが、

  1. 「各人がそれぞれ自分自身をを選択する」=各人がそれぞれ自分の生き方を決める
  2. 「同時に、各人は全人類を選択する」=同時に、各人の選択は全人類の行方をも決める。

という意味です。

復習がてらに言うと、第一章では

各人が自分の生き方を自分で決める→一人ではどうすることもできない事態に直面する場合も→そんな時は政治運動をし社会を変える

という事態を想定しました。

しかし

サルトルの頭の中では各人の行動が全人類の行方に直結し、全人類の価値を変えてしまうそうです。

「え、そんなことを言われても(;´・ω・`)))」っていう感じですよね。

小腹がすいてカップラーメンを食べるという不摂生をしたとしても、弁護士ではなくて医者になったとしても全人類を変えるわけがありません

国境を越えて活動する医者になれば多くの国の人々と関わることになるでしょうが、全人類は変えないですよね。

では、なぜサルトルはいきなり「全人類」の事を言い出したのでしょうか。

2-2.カップラーメンを食べちゃダメ?

サルトルが言いたかったことは、

おそらく

自分の選択を他のすべての人が選択したら世界はどうなるのかという緊張感を持って行動しなさい」ということでしょう。

サルトルの言葉をもう一つ引用しましょう。

人はつねに「もしみんながそうしたらどうなるか」と自問すべきであり、一種の欺瞞によってしか、人はこの不安な思考をのがれることはできない。嘘をいい、「みんながそうするのではない」と公言することによって言い逃れをする人は良心にやましい人間である。

出典元:同上

この主張にも一定の説得力があり、例えば殺人などは「もしみんながそうしたらどうなるか」と自問すべきでしょう。

しかし問題は「つねに自問すべき」というところです。

  • 小腹がすいた時、カップラーメンを食べ不摂生をしていいのか
  • 弁護士になるか医者になるか

などの時にどうして「もしみんながそうしたらどうなるか」と自問しないといけないのかよく意味がわからないですよね。

これ以上サルトルを批判するには「実存主義」のことを知らなければならないのですが、

今回の記事を読んで実存主義やサルトルや道徳などに興味が湧いた方は

おススメ

準備中

これらをご覧ください。

最後にアンガージュマンについて一言いうと、第一章で書いたことは参考になると思います

以上です。ありがとうございました。
次の記事

前の記事

この記事をシェアする