物自体とはーイデアとの違いは?科学的な根拠はある?


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「物自体」はカント哲学における最も重要なキーワードです。わかりやすく言うと「物の本当の様子」なのですが、少し説明を加えれば

  • 「物自体」は直接知ることはできない
  • われわれが知ることのできる「物」とは「物自体」の現れである。

難しく感じる方も今回の記事を読んで頂ければバッチリ理解できると思うのですが、

「『物自体』の現れ」がもののあはれと思いのほか響きが似ていて驚いた方もいるかと思います(私もその一人です)。

そのような方は一旦こちらの記事を読んで頂くのもアリかもしれません。

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では本編に入ります。

1.物自体と現象

言葉による説明ばかりじゃわかりづらいのでイラストを使いましょう。

ここに白い手袋があります。

白い手袋

それを赤いレンズの眼鏡通して見ると…

赤い手袋

このように赤い手袋に見えます(背景も赤くなる)。ここで考えて欲しいのですが、

そもそも

白い手袋(物)も眼や脳を通して見られていますよね。

「物自体―【視覚】―物」の関係も「白い手袋―【眼鏡】―赤い手袋」の関係に似ています。

目や脳を通す過程で「白い手袋(物)」の像は出来上がるのですが、

われわれは目や脳を取り外せば何も見えなくなるので「白い手袋自体(物自体)」を知ることはできません。

これが冒頭で言った「物自体は直接知ることはできない」の意味です。

われわれが知り得るのは人間特有の感覚器官を経由した物、つまり「現象」でしかありません。

カントは「物自体と現象」という区別をつけていますが、

われわれが普段認識している物は実は物自体の「現象」に過ぎないというわけですね。

2.物自体とイデア

以上のように書けば「物の真実の姿かたち」と「その見え方」の関係性を言っているように感じるかもしれませんが、

視覚的なもの」だけを想定しているわけではありません。

「物自体」と「感覚器官を通した現象」という区分なので聴覚的なもの、触覚なもの、味覚なもの、嗅覚なものも現象に入ります。

と言っても「視覚」が最も頼りになるし得られる情報量も多いので、「視覚的なもの」が哲学や科学の世界では重宝されていたのは事実です。

例えば

プラトンイデアは「ものごとの真の姿かたち」や「ものごとの原型」という視覚的なものを意図しています。

他にはデカルト「延長実体」ロック「第一性質」も物の本当の姿を想定した概念ですが、やはり視覚的です。

これらの概念と違い「物自体」は不可知だし、「視覚的なもの以外のもの」も考察の対象にできるという点で画期的だったと言えます。

※と言っても別にカントは「聴覚的なもの」や「触覚的なもの」について何かを語ったわけではありません。

「聴覚的なもの」や「触覚的なもの」を本格的に哲学の対象にしたのはベルクソンでしょうが、

やはりカントの登場は、哲学史における非常に大きな出来事だったのです。

3.物自体と現代科学

「聴覚的なもの」は物自体を考える上で非常に有効です。

例えば超音波。超音波は「20kHz以上の音波」のことなのですが、

超音波は可聴域の音と物理的特徴は変わらず、人が聴くことができないというだけである。

出典元:Wikipedia

もちろん超音波は医療などにも使われるため存在していることを知ることは可能なのですが、耳で直接知ることはできません。

…と言った具合に、科学に詳しい方は「物自体と現象の区別」はイメージしやすいかもしれません。

「聴覚的なもの」の話もしたいのですが、第一章では白い手袋と赤い手袋の話をしましたよね。

実は

「色彩」も感覚器官を経由した際に構成されたものであって客観的なものではありません。

これまたWikipediaに核心的なことが書かれていたので引用します。

現代科学では色は目の前にあるというより色彩の認識として存在すると考えられている。

出典元:同上

説明を加えると、

「色彩とは物体に反射した光の性質」だと思っている人も多いのですが厳密には違います。そうではなく、

物体に反射した光によって引き起こされたニューロンの状態のことです。

やはり色彩も認識の中に存在するものなのです。

色盲(色覚異常)」の人たちが大多数の人たちと色の見え方が違うのは色の認識の仕方が違うからだと言えます。

何らかの原因で視神経や脳などの感覚器官に異常が生じるので、色彩の認識の仕方も異なてくるわけですね。

なお、ここで異常だと言われるのは少数派だからに過ぎません。

色彩や音などの所与は主観によって変わることもありますが、科学法則は全ての主観にあてはまります

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主観

4.「認識の形式」という発見

ここまでは「どのように見えるか」「どのように聞こえるか」といった所与を例えに出してきたので、

「物自体―【感覚器官】―物(現象)」そして、我々はその物(現象)を経験するという構図を解説してきました。

しかし、カントが提示したのは正確には

「物自体―【認識の形式】―現象」そして、我々はその現象を経験する

という構図です。

4-1.アプリオリ・悟性・カテゴリーetc

【認識の形式】によってもたらされるのは「どのように見えるか」などの所与の他に科学法則もあります。

実は、科学法則は絶対的な宇宙の法則ではありません。

【認識の形式】という制約を加えられた人間(や地球上の生物や物質)にあてはまる法則に過ぎません。

カント的に言えば「物自体界に法則」ではなく「現象界」の法則に過ぎません。

「現象界」の法則の中には時間や空間や因果律などが含まれます。

例えば

我々は1秒前と現在ではほぼ同じ空間に存在しますが、それは「現象界」の法則にしか過ぎないのです。

この理解は非常に重要です。

アプリオリ悟性カテゴリーアンチノミーという言葉を聞いたことはないでしょうか。

アプリオリに全ての主観に共有されたカテゴリー悟性に備わっていて、混沌にまとまりと判断を与える…

無理やり一文にするとこのように意味不明になりますが、かみ砕いて説明すれば意味もわかります。

しかし、その為には「物自体」への理解が不可欠でしょう。

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4-2.まとめ

以上を読んで頂ければわかるように「物自体」はカント哲学の土台になる重要な概念です。

この概念を論考中にカントが発した「コペルニクス的転回」は慣用句にもなっています。

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コペルニクス的転回

というわけで、最後に定義をします。

物自体とは

  • われわれの感覚器官では直接的に認識し得ない「物そのもの」の様子。
  • われわれが認識し得るのは「物自体」から得られたデータを脳が再構築した「物」である。
以上です。ありがとうございました。
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