愛着障害のデマ記事をぶった斬る!【恋愛編】

愛着障害のデマ記事をぶった斬る!【恋愛編】

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今回は趣向を変えて「愛着障害に関するデマ情報を垂れ流しているとある記事」の批判をしていこうと思います。その記事とは

All About 隠れ愛着障害!?恋愛ができない原因は親子関係にある?です。

この記事は「愛着障害  恋愛」で調べたら最上位に表示される記事です(2019年3月6日現在)。

しかし間違いは間違いなので、しっかり指摘していこうと思います。

なお批判対象の記事を「この記事」と書くと、今私が書いている記事とごっちゃになるので、以下「デマ記事」と明記させていただきます。

1.愛着障害のデマ【その①~③】

キャベツ(愛着障害)を斬る

それでは順を追って批判していきましょう。この「デマ記事」では「愛着障害になる原因」の話から始めているようです。

1-1.多くの人に当てはまりそうなもの

虐待、育児放棄のほか、逆に過保護や過干渉によって心理的支配をされて育てられた場合(精神的な虐待)にもなりやすい

出典元:All About 隠れ愛着障害!?恋愛ができない原因は親子関係にある?

虐待、育児放棄」…愛着障害にある程度詳しい方や私の愛着障害関連の記事を読んでくださっている方ならわかると思いますが、これは

反応性愛着障害」や「脱抑制型対人交流障害」などの重度の愛着障害の原因になる行為です。

確かに、これは絶対にやってはいけません。

※反応性愛着障害や脱抑制型対人交流障害を知らないという方は

次の「過保護や過干渉」を「精神的な虐待」と呼ぶのかどうかはさて置き、これも子どもにとっては良くない行為です。

問題は次の文です。

例えば、恋愛において、下記のような傾向はありませんか?

・人と深く関係を築くことができない(人に甘えられない)。

・パートナーからメールの返事がすぐに来ないと不安になる。

・必要以上にパートナーを束縛してしまう。

・パートナーに依存し過ぎで、いつもフラれてしまう。

こういったことが当てはまる人は、どこか愛着障害なところがあるのかも知れません。

出典元:同上

ここで本題である「恋愛」の話に入ります。唐突に恋愛の話になって驚く方もいるかもしれませんが、

愛着障害的な傾向は恋愛中に強く出ると言われています。

厳密に言うと、「愛着障害は対人関係にも影響を及ぼし、特に恋愛相手との接し方に影響を及ぼす」ということです。

話を戻しましょう。

このライターは「恋愛において、下記のような傾向はありませんか?」と質問していますが、逆にこのライターに聞きたいです。

「恋愛において、そのような傾向がない人なんているんですか?

「パートナーからメールの返事がすぐに来ないと不安になる」ことを恋愛と呼ぶんじゃないですか

「あの時、必要以上に束縛したかも」とか「フラれるのは、相手に依存してしまうからかな」と恋愛を振り返ることもあります。

むしろ

フラれても「じゃっ次、行こか」と言って、1000本ノックのように淡々と恋愛をこなす方がおかしいでしょう。

それに「ボクって、ワタシって上手に人に甘えられるんだぁ(o´▽`o)」って言ってのける奴の方がどうかしてます。

つまり、私が言いたいのは

このライターの挙げる「恋愛における傾向」なるものはほとんどの人に当てはまるものに過ぎません。

にもかかわらず、このライターはこれを愛着障害の症状に位置付けているのです。

ここでこのライターによる愛着障害の原因を振り返ると、「虐待、育児放棄」「過保護や過干渉(精神的な虐待)」。

ということは、ほとんどの人がこれら卑劣な行為を親から受けた被害者になってしまいます。

これは親にとってとばっちりなだけではなく、自分自身にも良くありません。

親を逆恨みするのは精神的に疲れるし、恋愛が上手くいかない度に「自分は愛着障害かも」と思っていたら恋愛どころではないでしょう。

1-2.著名人の名前を出す

先ほど引用した「例えば、恋愛において、下記のような傾向はありませんか?」の前にはこのような分が入ります。

「愛着障害」なんて病名がついてしまうと、多くの人が自分とは無関係のことに思いがちですが、

実は、愛着障害の症状に当てはまる人は意外と多いものです。

出典元:同上

これは、まさに事実とは真逆のことを言っています。

多くの人に当てはまることに「愛着障害というレッテル」を貼り、多くの人にとって「無関係ではない」と思わせるのが愛着理論の戦略です。

このライターはその戦略に完全に乗っかっているようです。

続いてスティーブ・ジョブズ、A・ヘミングウェイ、夏目漱石…という著名人の名前が出てくるのですが、

「あの人も実は愛着障害だった」と言うことで強い印象を与えようとするのは、精神科医の岡田尊司氏がよく使う手です。

もちろん

この岡田氏の主張がこじつけであるのは、岡田氏の著作を注意深く読んだ方ならわかると思います。

1-3.興味がなかった人に対する印象付け

続いて治療方法の話に移っていくのですが、ここでお馴染みの「安全基地」が登場します。

この治療方法や「安全基地」は

などで詳しく、かつ批判的に解説しました(はっきり言って「安全基地」の考え方は穴だらけなので)。

話を戻しましょう。この記事では「安全基地」の話をしている最中に、やたらと恋愛の話が出てきます。

確かに

愛着障害の改善の手助けをする「安全基地」は恋人やパートナーが最適だとされます。

しかし、この記事では「恋愛というのは…」「これは一般的な恋愛にも言えます」と言う風に、いちいち恋愛の話をしたがります。

このライターがそういうお年頃なだけかもしれませんが、おそらくこのサイト自体が恋愛関係の記事をたくさん掲載しているサイトなのでしょう。

  • 愛着障害の記事を専門的に書いているサイトが「恋愛」を扱うこと。
  • 恋愛の記事を専門的に書いているサイトが「愛着障害」を扱うこと。

これらは全然違います

「恋愛の記事を専門的に書いているサイト」には当然、恋愛に関心のある人が多く訪れるのであり、愛着障害に関する前知識はほとんどないでしょう。

そのような人たちに「あなたの恋愛が上手くいかないのは、幼児期に親から虐待を受けたからかもしれない」という趣旨の話を

不意打ち的にするのです。

突然された方には大きな衝撃で特に、現在恋愛で悩んでいる人は容易に親を恨むようになるでしょう。

このように、この「デマ記事」が厄介なのは、

デマ情報が載っていること以上にもともと愛着障害に興味がなかった人に、デマ情報を届けてしまっているところです。

そのような人が愛着障害を調べ直すことはあまりないでしょう。その結果、デマ情報を真に受けてしまうのです。

2.そもそも「愛着障害」が間違いだらけ

愛着障害(大根)を斬る

極め付きは次の文章です。

子供を守る覚悟がない人は、子供を産まない方がいいでしょう。それでは、自分も子供も、そして周りの人も不幸にしてしまうからです。

重い愛着障害の症状がある人は、大人になっても不安定な心を持て余して、日々を過ごしています。自分の子供を、そんな風に苦しめてはいけません。

出典元:同上

ここでまさかの優性思想が飛び出します。

近頃、障害者に対して行われていた強制不妊手術が問題になりました。と言っても、このライターもそこまで大袈裟なことは考えてないでしょう。

ならば、この方の言う「覚悟」とは一体何なのでしょうか。「子供を守る覚悟」がどうのこうの言うのなら、

このようなことを書けば、優性思想を疑われるかもしれないという覚悟を持つべきでしょう。

しかも

愛着障害という間違った想定に基づいて「子どもを持つな」と言っているのがまた、たちが悪いです。

愛着理論を全否定するわけではありませんが、このライターのように

  • 誰にでも当てはまりそうなものを「愛着障害の症状」として紹介する。
  • その原因を「親からの虐待」だとこじつける。

のは非常に問題のある事です。

ちなみに

愛着障害とは

幼児期(特に母親)や養育者との間に強い心の結びつきを形成できなかったことが原因で起こると考えられている諸症状のこと。

で、このライターの言う

  • 人と深く関係を築くことができない(人に甘えられない)。
  • パートナーからメールの返事がすぐに来ないと不安になる

などの、いわばネガティブな生き方は「軽度の愛着障害」だとされており、虐待ではなく「愛情不足」が原因とされています。

念のために言っておきますが、私は愛着障害の考え方自体にかなり批判的です。

愛着障害関連の記事は基本、批判的に書いているのですが、

もし、なんらかのデマ記事を読んで「自分は愛着障害かも」と思わされている人がいたら

この辺りをお読みください。

というわけで愛着理論には批判的なんですが、それにもましてこのライターの記事は悪質だと言わざるを得ません。

にもかかわらず、この方は「残念な親」とか「親は覚悟を持って!」など、謎の上から目線で物言いをしています。

が、確かにこの物言いにも一理あります。

私も「デマ記事を書いて人びとを困惑させる残念なライター」にならないように覚悟を持って記事を書いていこうと思います。

以上です。ありがとうございました。
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11 件のコメント

  • 本当に勇気づけられ、心理的に救われました。
    すべて親の私どものせいで思い、一人娘をどん底に追い込んでしまったと思い悩み、日々懺悔心に、さいなまれましたていました。
    商売をやっていたせいもあり、悔いる部分もあります。

    • 愛着理論は「親の言い分はさて置き、とにかく全てを親のせいにして気持ちをスッキリさせよう」というものなので、

      その親はかなりの苦境に立たされます。

      愛着障害関連の記事は、そんな親御さんのためにも書いていたので、お役に立てたならば幸いです。

  • いつも拝見させていただき感銘し、かつ勇気づけられています。
    カウンセリングとは答えのない問題を解いているようなものだし、カウンセラーが治療と称した解決法を施すものじゃなく、カウセリングを受ける側の複雑に絡み合った心の糸をほぐす手助けをすることであって、決してほぐれない糸球を断ち切って解した糸に結び付けてやる外科手術的ことじゃないと思うんです。
    いつも思うのは、事件や事故があるたびに臨床心理士や脳科学者がコメントを出して生い立ち云々を唱えますが、果たしてそれが正当な答えかと疑問を持つのはわたしだけでしょうか?
    糸をほぐすのはあくまで自分自身であって、催眠療法(マインドコントロール)でだれか悪者(敵)を作り、全てをそれのせいにして、なすり付ければカウンセラーは簡単に解決するし、本人は作られた敵を恨み、植え付けられた不遇を全てその敵のせいにすれば、ある程度は靄が晴れるでしょうが、果たして本人が糸の端を見つけ覚醒したとき、どう釈明するのでしょうか?
    カウンセラーという方々は、その人の人生観さえも変えてしまうかもしれないと自覚して慎重になってもらいたいと思います。
    裁判官のように「前例を以って」などと教書の通りの断定はしないでほしいと切に願います。
    生意気言ってすみません!

    • いつもコメントありがとうございます。

      「カウンセリングとは答えのない問題を解いているようなもの」とのことですが、私はむしろ逆だと思います。

      カウンセリング(少なくとも愛着障害のカウンセリング)とは「親の子育てが悪かったという答え」にそって、患者の過去の体験を整理していくものだと言えるでしょう。

      「外科手術的ことじゃない」とのことですが、まさにその通りでさらに言えば、外科手術のような「自然科学」ではありません。

      自然科学は確実な「成果」を積み上げながら「法則」を導きますが、愛着理論は全く逆で「子どもの一生は子育てで決まる(よって子どもが不幸になれば親が悪いはずだ)」というジョン・ボウルビィの思い込みを絶対的な「法則」にし、それにそったカウンセリングをして「成果」を挙げようとしています。

      もちろん、そんなものでたいした成果は上げられませんが、カウンセリングに失敗したとしても「われわれが失敗したのはそれだけ親からの被害がひどく、愛着障害が深刻だったからである」というのが愛着理論の考え方です。

      「本人が糸の端を見つけ覚醒したとき、どう釈明するのでしょうか?」―残念ながら、別に何の釈明もしないと思います。

      彼らは彼らの「仕事」をしただけですから、基本的にはカウンセリング以降のことは別にあずかり知らないといった感じじゃないでしょうか。もちろん親切なカウンセラーもいるのでしょうが。

  • 先生そうなんです!私はあまり文章が得意じゃなく・・カウンセラーは受け手の不遇(自分の考え方次第でしょうが)に至らしめた敵(親)ありきのカウセリングのほうが話の方向付けが容易いので、多くのカウンセラーという方々は受け手の生きずらさ(もしかしたら生まれ持っての性格かもしれないのに)を安易に敵(虚遇の毒親)のせいにしてしまう。

    • 「生まれ持っての性格」には、ネガティブに物事を捉えやすい性格も含まれます。

      精神科医の岡田尊司氏は「例外的な出来事にすぎない傷ついた体験が、すべてを覆っていたかのようにみなす」人もいると言っておきながら、愛着障害のカウンセリングでは患者の意見のみにしか耳を傾けません。

      これは非常に問題のあることでしょう。

      この矛盾に関する記事は近日中に投稿しようと思います。

  • どういうわけか、「毒親からの決別」とか「それでも親子でいなきゃならないんですか?」みたいな内容の書籍がほとんどです。それを読んだ親(特に母親)の感想として、こんな本読まなきゃよかった。とか
    読んでいるうちに「このお子さんは都合のいい」ことだけ書いてて、だんだん腹が立ってきたという感想だけでした、そうなんですね!全く親の意見は無視して書いている本だけです。
    精神科医の岡田尊司氏の著書も読んでみたことがありますが、前文、と中文、完結を注意深く読み進めると矛盾だらけですね。
    読んでいるうちにマイナーな気分になってきて途中で放り出しましたが、私の知り合いの精神科医は
    「いろんな考え方の先生がいるから、一概には言えないけど、せめて親子の両方から事情を聴きとるべきだね!」「精神科医やってるからって、親子関係が模範的かと言ったらそうでもないんだよ。」「喜怒哀楽の生活してるよ、人間だもの!」って言いますね。
    「岡田先生は有名人だけど、理想論だけ羅列しているんじゃないかな!理想論だけで子育てはできませんよ!」ここまでは、私が10年も前に鬱状態になって診察してもらった先生の意見です。

    • 昨今のニュースを見ればわかるように確かに、ろくでもない毒親はいますが、「毒親問題」がやっかいなのはそれに便乗して「愛着理論」を広めようとしているカウンセラーがいることです。

      「愛着理論」は、いわば「あなたの不幸は全て毒親が作った」と思わせることですから、こんなものが広まれば多くの「まともな親」まで毒親認定されてしまいます。

      岡田尊司氏に関しては現在研究中なのですが、非常に評価の難しい人物です。

      博学で参考になる主張も多いのですが、なぜかいろんな理論を「愛着理論」と結びつけようとするのが大きなマイナスです。

      また、その知り合いの精神科医の方が言われるように「理想論」が多いのも特徴です。

      岡田氏が多くの精神的トラブルを抱えた方を救いたいと思っているのは確かでしょう。しかし、そのような理想は「愛着理論で果たせる」と本気で思っているのが、はっきり言ってやっかいなところです。

      また、「愛着理論は親の為にもなる」と考えているのも、かなり見当違いだと言わざるを得ません。

  • 私の娘がNHKの「ハートネットTV」で受賞した作文です、私(父親)のうつ病発症からの経過を自分の感情を中心に描いたものです、娘には不憫な思いをさせたと深く反省しています、ただ文面で1か所否定する部分があります。娘が「お父さん!私を愛してる?」と聞いたとき「愛してなんかいない!」といったのはまったくの逆で「なんでそんなことを聞くんだ!子供を愛してない親なんているわけないじゃないか」といったのです、それは家内も聞いていて「絶対そうはいってない」と証言していてNHKの取材のときもここだけは否定させてもらいます。と言い娘にも伝えてもらいましたが放映はそのままの文面でした。
    長いですが、目を通してみてください、自分の恥部です(うつ病のこと)
    第52回NHK障害福祉賞 優秀作品
    ~第2部門~
    「私の話を聞いてください―うつ病の親を持つ子どもより―」

    著者 : 菅野 春華 (かんの はるか)  岩手県

    「父さん、うつ病なんだってよ」
    父の一言から、私の生活は大きく変わり始めました。

    私が中学二年生だった頃の話です。私の住んでいた地域で、数日降り続けた大雨により堤防が決壊し、水害が起こりました。夏を目前にした、まだ朝は肌寒い時期でした。早朝、慌てた様子の母に起こされ、眠い目を擦(こす)りつつ玄関の扉を開けると、私の家の前を土色の川が流れていました。自然の驚異を前に私たちはなすすべもなく、貴重品だけを抱えて、地域の避難所に逃げ込みました。地域の一部は濁流にのまれ、家や田畑のほとんどが汚泥の中に沈みました。大雨が止んだ翌日、避難所から帰宅した私たちを待っていたのは、変わり果てた姿になった自宅でした。地域で一番土地の低い場所にある私の家はそのほとんどが汚泥の中に沈み、家の中にあった家具も多くが流されてしまいました。この件で一番ショックを受けたのは父だと思います。当時自宅を改装したデイサービスセンターを営んでいた父は、自宅と共に職場も失ったのです。自宅が再建されるのを待ちながら、父と母、そして私の、家族三人での狭いコンテナ暮らしが続くなか、父の様子が次第におかしくなっていきました。
    父が、些細(ささい)なことでもイライラして怒鳴(どな)るようになったのです。そうかと思えば、無気力にごろりと横になっている日もありました。水害が起きて最初の一か月はデイサービスセンターの再建と、コンテナ暮らしのストレスもあったので、無理もないかと考えていましたが、あまりにもその期間が続くので、不審に思い始めていました。そんなある日、父が学校から帰ってきた私に、
    「父さん、うつ病なんだってよ」
    と言いました。うつ病、聞いたことはありました。当時の私はうつ病のことを、あらゆることに対して無気力になる病気だと認識していました。正直、うつ病という病をよく知らなかったこともあり、きちんと治療すれば風邪のように短期間で治る病なのだろうと考えていた私は、
    「そっか。じゃあ、一緒に治していこうね!」
    と元気よく笑顔で答えました。しかし、ここから先の生活は、私にとって地獄としか言いようがありませんでした。

    父はいつもイライラした様子でした。水害から一か月で自宅兼仕事場を取り戻し、デイサービスセンターに利用者が入るようになってからも、仕事をせずソファで無気力に横になっている生活が続きました。父は時折、母に、
    「ここが汚れているから掃除機をかけろ!」
    と命令し、母が掃除機をかけると、
    「(掃除機の音が)うるさい!」
    と怒鳴りました。母は、自分は何も悪くないのに、ごめんなさい、と父に平謝りしていました。父は母がむすりと黙り込むと、
    「その態度はなんだ、俺が居なければろくに金も稼げないくせに」
    と怒鳴りました。その度に母は弱く、
    「はい、はい……」
    と頷(うなず)きました。母はいつも口癖のように、
    「私は父さんが居ないと何もできないから。父さんは病気だから仕方ないの」
    と呟(つぶや)いていました。おそらく、私の両親は互いが互いに依存している、共依存(きょういぞん)状態だったのだと思います。
    私も、はじめのうちは自分なりに状況を解決しようと試みました。母親へ怒鳴る父の怒りの矛先が私へ向くよう母を庇(かば)ったり、落ち込む母へ一緒にお風呂に入ろうと声をかけたりしました。しかし、私の精神も限界でした。中学生の私が一人で背負うには、うつ病と両親の共依存はあまりにも難しいものでした。次第に私の中には、両親に対する嫌悪感と、父への恨みが募っていきました。父がうつ病という診断を免罪符にして傍若無人に振る舞っているように見えたのです。父にうつ病という診断を下した名前も顔も知れぬ医師を憎みました。悪くもないのに父に屈して謝る母が嫌いでした。

    そうして鬱々(うつうつ)とした生活は続き、ついに母の堪忍袋の緒が切れました。私が高校に進学し、次の日に高校入学後初めてのテストを控えていた日のことでした。湯船に浸(つ)かっていると、獣の声が聞こえたのです。当時私の住んでいたところは自然の豊かな場所でしたが、それでもまさか狼(おおかみ)なんて出ないだろうと不思議に思っていると、脱衣所に獣のように泣き叫ぶ母が転がりこんできました。母は驚く私を気にすることなく、
    「母ちゃん、この家、出ていくう!」
    と嗚咽(おえつ)を漏らしました。私が声を発する間もなく、父の怒鳴り声が聞こえます。
    「さっさと出て来い!」
    私は濡(ぬ)れた髪を乾かす暇もなく、脱衣所から引きずり出されました。動揺する私の横で父と母はしばらく怒鳴りあっていましたが、話の内容を聞く限り、デイサービスセンターの経営方針に母が意見したことで父の妄想が飛躍し、
    「俺を馬鹿(ばか)にしているのか!」
    と怒鳴ったことが分かりました。そこまでならいつものことで流せたのですが、
    「出ていく!」
    と泣き喚(わめ)いている母に対して父は、
    「養育費ならいくらでも出してやるから、出ていくなら出ていけ!」
    と言ったのです。今回ばかりは母も引きませんでした。
    「ちょっと、訳分かんないよ!何言ってんの!」
    そう動揺する私の声は無視され、私は引きずられるように母の車に乗り込まされました。
    母の行き先は、古くからの友人であるAさんのアパートでした。母が運転している最中にも父から電話がかかってきましたが、母は泣いていてろくに言葉も話せない状態でした。私は呆気(あっけ)に取られている一方で、何となく「やはりこうなったか」という気持ちもありました。いきなり転がり込んだ母子を、Aさんは驚きつつ出迎えてくれました。
    私はこの一時間の間に自分に起こった出来事に対して、ある意味では無関心でした。家庭が崩壊する様子を目の前で見せつけられて、意外と呆気ないものだなとぼんやり考え込んでいました。そう思わなければ耐えられなかったのかもしれません。ドラマでよく見る愛憎劇を思い出しながら、両親が感情をぶつけ合う様と比較して、ドラマの演技は思ったよりもリアリティのあるものだったのだと場違いに感心していました。
    Aさんが机を貸してくれたので、何とか持ってきた勉強道具で明日のテストに向けて勉強を始めました。正直、この先どうなるかということは考えたくありませんでした。父のことも母のこともどうでもよかったのです。ただただ迷惑だなという気持ちしかありませんでした。そんな私の様子に気が付いたのでしょう、Aさんは私に対して、
    「あなたが頑張らなくちゃいけないのよ」
    と声をかけました。恐らく、Aさんなりの激励のつもりだったのでしょう。Aさんは一度配偶者と離婚しており、その離婚を決意したきっかけになったのが、彼女の一人息子の後押しだったそうです。Aさんは、その息子と同じ努力を私に要求したのです。今となってはかなり酷なことを言われたと思います。しかし、私はAさんに昔からお世話になっており、Aさんという人物を人間的に尊敬していたこともあったので、その時のAさんの言葉をそのまま飲み込み、「そうか、私が頑張らなくちゃいけないのか、私の努力が足りないから、こういうことになっているんだ」と自分を責めることになりました。

    私と母は一日Aさんの家に泊まり、その後父の待つ自宅へ戻りました。相変わらず父は踏ん反り返って、一言も謝らず、母はそんな父に対して深々と二度頭を下げました。
    「ごめんなさい、もうしません」
    私は、またあのふつふつとした嫌悪感がせりあがってくるのを感じていました。母は、父が立ち去って、私と二人きりになると、涙ぐみながらこう言いました。
    「あなたのために、あなたが卒業するまで私頑張るからね」
    はっとしました。私は今まで頑張って両親の仲を取り持とうとしてきましたが、その努力を打ち砕く発言でした。私が努力してきたことは全部無駄で、この人達(たち)は私さえ居なければ幸せになれるのではないかと、一瞬そう感じてしまったのです。はじめは「いや、そんなことはない」と自分の考えを打ち消すことができました。
    しかし、次第にその考えが頭をもたげる頻度が高くなっていきました。私が居なければ、から、私は居てはいけないのだ、となり、最終的に一人になると常に「死にたい」と考えるようになりました。私が全ての元凶で、私さえ居なければ皆が幸せになれる、悲しむ人などいないと、そう思っていました。そう思った理由の一つには、過去に、うつ状態の父に、
    「私を愛している?」
    と聞いた際に、
    「お前なんか愛していない」
    と即答されたこともあったのでしょう。私には自分の存在している意味が分かりませんでした。家族を助けたつもりが、勝手に空回りをして結果的に家族を不幸にしてしまいました。私は罰せられなければならないと考えていました。自分の周囲で悪いことが起こると、全て私が悪いからだ、私は罰せられるべきなのだと結論付けるようになりました。授業中に先生に当てられた時に、うまく回答できず周囲の笑い声が聞こえると、気が遠くなっていき、「こんなものもできないのか、死ね、死ね」と自分で自分を責め、気が付くと自分の首を絞めていました。いつももう少しというところで息が苦しくなって、はっと視界が開けるのです。その度に、一思いに死ぬことのできない臆病な自分が嫌になりました。放課後、友人と笑って話しながら学校前の坂を下っていても、友人と手を振って分かれた途端に死ぬ方法を探りだす自分が居ました。高いところに登れば「ここから落ちたら死ねるかな」と下を見下ろし、車通りの多い道をじっと見ては「ここから子どもが飛び出してきて、子どもを助ける代わりに死んだら、せめて皆に褒められて死ねるかな」と思いました。一日の最後には、このまま目を閉じたら全てが終わっているように、もう二度と目を開けることのないように、祈りながら寝ました。毎朝、日の光が部屋に差し込むたびに「また死ねなかった」と自分を責めながらやっとの思いで起き上がりました。死ねないならせめて心が壊れてしまえばよい、何も感じなくなれば苦しみから解放されると、毎晩悲しみで涙を流す自分を、呆(あき)れつつ客観的に見ている自分が居ましたが、もうあの時点で十分すぎるほど、私の心は壊れていたように思います。
    父は精神科に通い続けていたこともあり、うつ病の症状は改善していきました。その一方で、私の精神状態は擦り切れていましたが、決して両親には相談しませんでした。心配をかけてしまうから、というよりは、両親に対する嫌悪感のほうが強く、両親に相談したいとは思えませんでした。それに、万が一専門の医療機関を受診し、うつ病という診断でもついてしまえば、私は父と同じ免罪符を手に入れることになります。私は父と同じようにはなりたくありませんでした。精神病だと公表するどころか、診断を付けられることすら甘えだと感じていました。

    高校卒業後、私は父の希望で、家業のデイサービスセンターを継ぐ勉強をするために、本格的に福祉の勉強を行うことができる隣県の大学に進学しました。本音を言えば、私自身は福祉の勉強をしたいと強く思っていた訳ではありません。私の中には、父がそう言ったからという義務感と、せめて人のためになることをして死にたいという一種の諦めのような気持ちしかありませんでした。
    そんな私に、大きな転機となる出来事が訪れました。
    大学に進学すると同時に、私ははじめて異性と付き合うことになったのです。彼は高校時代の同級生で、誰もが優しいと評する男性でした。鬱々とした日常で、癒しをくれる彼の存在は非常にありがたかったのですが、その反面、「せいぜい三か月で飽きられるだろう」と考えている私が居ました。不幸な家族を差し置いて自分が幸せになることへの恐怖感が強かったのです。本当は、「飽きられるだろう」ではなく、「飽きてほしかった」のだと思います。彼と居る時間は本当に幸せでしたが、それが私を窮屈な思いにさせました。何としてでも、彼との関係を破綻させて、「ああやはり、私は幸せになってはいけないのだな」という安心感を得たかったのです。歪(ゆが)んだ私の願望が、彼に酷(ひど)い言葉を浴びせました。仏の顔も三度までと言いますが、いくら優しいと評されている人間でも、理不尽な八つ当たりを日常的に続けられればいずれ限界が来ます。付き合い始めて一年経った頃、酷い喧嘩(けんか)をして別れ話にまで発展しました。その時、気が緩んでつい私は、
    「どうせもう会わないだろうから話す」
    と自分の過去を一から十まで語りました。一年付き合った恋人に、一時間もかけて初めて過去の出来事を話したのです。父がうつ病であったこと、両親の不和から家庭が崩壊しかけたこと、それを誰にも打ち明けられず辛(つら)かったこと、そして、高校時代ずっと死にたいと考えていたことを話しました。話し終えた時、彼はぽかんとした顔をしていました。私は逆にすっきりして、もうこれで彼の腹は決まっただろうと踏んでいました。私は父の姿を間近に見ていて、父のように精神的に病んだ人間は、家族ですら付き合いきれないのに、同じく精神を病んでいるとしか言いようがない私に他人の彼がそこまで温情をかけることはないと考えていました。ですから、「だからどうした」とか、「別れよう」などと言われることを期待していました。しかし、彼はしばらくの沈黙の後、
    「よく頑張ったね」
    と言いました。次にぽかんとするのは私の方でした。次の瞬間、自分でも気が付かないうちに目頭がかっと熱くなるのを感じ、ぼたぼたと涙を流していました。その時直感的に理解しました。私がずっと望んでいたのに誰にもかけてもらえなかった言葉が、「頑張ったね」であることに。とめどなく溢(あふ)れてくる涙に自分の感情が追い付かず、言葉を出そうとして唸(うな)っている私に対し、彼は次のように続けました。
    「誰も悪くないのだから、もう自分を許してあげてほしい」
    私も分かってはいました。私はただ運が悪かっただけで、誰も悪くない。憎む人は、私の人生に誰一人いませんでした。しかし、私の歪んだ自己認識がそうはさせませんでした。父、母、自分、医師など、誰かを憎んで、感情を逃避させることでしか、私に逃げ道はありませんでした。その現実を見ないよう、わざと自らの眼前に暗幕を垂らし、自分の中に閉じこもっていた私の前で、彼はその暗幕を剥ぎ取ってみせました。今度は声を上げてわんわんと泣きました。気が済むまで泣いた後、私の初めて発した言葉は
    「あの、別れるの?」
    という情けないものでしたが、彼は、
    「はるちゃんはどうしたい?」
    といつもの優しい顔で笑いました。私の中の躊躇(ためら)いはもう消えていました。
    「私は、別れたくない」
    それは、私が他人に対し、初めてはっきりと意思表示をした瞬間でした。

    それからの私のリカバリーは非常に早いものでした。自分が心の傷を抱えていることを自覚するまでに時間がかかり、彼と何回か衝突しましたが、自分でうつ病に関する文献を読み、大学の心理相談専門員の方と何度かお会いして面接を行い、自分の心の傷と向き合う機会を持つことができました。リカバリーが始まってから一年後、大学三年生になる直前、両親と過去のことに関して話し合うこともできました。今まで家族の中でもタブーのような存在であり、特に父のうつ病のことに関しては誰も話を切りだすことはありませんでしたが、私が勇気を持ち、その話題に触れました。父のうつ病は娘の私にとっても辛いものであったこと、私がずっと死にたいと思っていたことなど、長年抱えてきた想(おも)いを一気に話しました。私一人では不安で、彼にもついてきてもらいましたが、案の定、話の途中で言葉に詰まって、涙がこぼれた時、隣に座っていた彼が私の左手を引き寄せて、彼の膝でぎゅっと握ってくれました。言葉にはしませんでしたが、握ってくれた手の力の強さと、彼の優しい眼差(まなざ)しから、彼が「頑張って」と応援してくれていることが分かりました。彼のおかげで、私は全てを話し終えることができました。両親も涙を流しながら、
    「今まで辛い思いをさせて、申し訳なかった」
    と、心からの言葉で謝ってくれました。

    大学に入学し、福祉の勉強を本格的に始めてから悔しいと感じたことがあります。それは、自助会や家族会、保健所の相談窓口などの存在を、大学の学びの中で初めて知ったことです。もし私が苦しんでいる時に、「頑張れ」ではなく、「苦しいときは頼れる場所がある」と教えてくれる存在が居たら、私も死にたいと考えることは無かったかもしれません。当時の私にはそのような存在が居ませんでした。私が家庭の不和で苦しんでいることをこぼしても、周囲の大人からは、「そんなこと言わないで」「家族なんだから」というありきたりな答えが返ってきます。そして最後には「頑張れ」と言うのです。
    私の生活は、父がうつ病を患ってしまったことで大きく変わりました。家では両親の機嫌をうかがい、神経を擦り切らしながら波風が立たないようにし、学校ではそれを悟られないよう明るく振る舞うことに徹しました。一人になると暗い海の底に沈められたように、どんよりと暗い息苦しい気持ちに支配され、何度死んだ方がましだと思ったか分かりません。
    子どもは、周囲の大人が考えているより、親の精神疾患でダメージを受けています。「頑張れ」と励ましていけないのは、患者だけでなく、家族も一緒です。精神的にぼろぼろになりながら、これ以上何を頑張れば良いのか、アドバイスという名の押し付けを行う人は具体的な方法を教えてくれません。父の通っていた精神科の医師に、「うつ病とはこういう病気で、こういう症状が出た時はこう対処すれば良いんだよ」と一言教えて欲しかった。辛いとこぼした時に、「辛かったんだね、よく頑張ったね」と声をかけてくれる大人の存在が欲しかった。涙を流しても、「一番辛いのはお父さんなんだから」と叱責されない環境が欲しかった。子どもだから知る権利がない訳ではありません。子どもだからこそ、どんなに幼くとも親の精神疾患に対してきちんとした知識を得る必要があります。苦しい時には頼れる場所を作る必要があります。大学で福祉を学んだことで、己の無知に気が付くと同時に、同じくらい私の周囲が無知であったことにも気が付きました。
    私は、精神疾患がこのような無知によって連鎖するものだと考えています。私の考える無知とは、疾患そのものに対する知識不足と、当事者を支える人の気持ちに対する鈍感さのことです。疾患を持つ当事者だけでなく、それを支える家族の声にも耳を傾けてください。家族が「辛い」とこぼし、涙を流すようなことがあっても、それは自然なことです。否定せずに、「頑張ったね」と受け止めてほしい。それが、うつ病当事者の子どもであった私からの願いです。

    今も私は福祉の勉強を続けており、現在大学三年生です。将来は精神保健福祉士になりたいと考えています。もし私のように、家族の精神疾患で苦しんでいる人が居るのなら、その人にとって頼れる存在になりたいと思い、精神保健福祉士という進路を選びました。精神疾患で苦しむのは、本人だけでなく家族も同じです。周囲の理解と、適切な情報がなければ、途端に家族は逃げ道を失い、壊れていきます。精神疾患は、家族という閉鎖空間で抱え込むにはあまりにも重すぎるのです。私は、父がうつ病になったことで、それを実感として学ぶことができました。当時は辛いことばかりでしたが、今では、貴重な体験をすることができて良かったと考えています。
    私は、昔のように死にたいと考えることも、下を向いて歩くこともなくなりました。周りを見渡せば、自分を愛してくれる人が温かい眼差しを向けています。空を見上げれば、感嘆するような夕焼けのグラデーションが視界いっぱいに広がります。それだけで、私は生きたいと願うことができるのです。

    菅野 春華プロフィール

    一九九六年生まれ 大学生 岩手県在住

    受賞のことば

    生きるか死ぬかの問答を毎日のように自分の中で続け、ようやく今日この時まで生き抜いてきました。大学に入学してから自分を支えてくれる人々と多く出会い、過去を振り返ることができる状況になったので、自分に起こったことを整理する目的で今回作文を書きました。精神疾患を持つ当事者だけでなく、家族にも寛容な社会が実現されることを夢見て、これから日々勉強を重ねていきたいと思います。このたびは、素敵な賞をありがとうございました。

    選評

    障害者の家族には、さまざまな社会的圧力がかかり、家族はそれを自分の至らなさだと感じてしまいます。それこそが圧力なのですが。菅野さんが、「よく頑張ったね」という、「うつ病の父の娘」ではなく「菅野春華」に向けて語られた言葉に涙する場面には言葉がありません。これから、菅野さんは「妻」「母」という立場に進んでいくでしょう。そこで何度でもお父様と向き合うことになると思います。これからの菅野さんの人生にエールを送りたくて、この作品を選びました。(玉井 邦夫)

    以上

  • 党首様、私が鬱に苦しんだ時期はこの通りです、なんでも一人で抱え込む性格でして水害で施設兼住居が崩壊し、すべて積み重ねてきたものが流されてしまった。財産も思い出も、と思ってしまったら残ったものは虚無の世界でした、精神科に行ったのも事実です、薬も腹いっぱいになるほどもらいましたが、薬ではこの状況(疾病)は治らないと途中で気づいたのです。財産って実は家族なんだ!思い出はものじゃなくって心の中に残ってるんだって!でも絶望感に苛まれていたころは、娘が言う通り当たり散らしていたし、逆に落ち込んで、思いもしない場面で涙がこぼれたり、自分を否定する声が聞こえたり、惨憺たるものでした。転機は女房の言葉と従業員の言葉でした「ここがないと行き場所がない年寄りたちを呼び戻そうよ!」でした、薬なんか何の役もたたなかったです、いやたったのかもしれませんが私にとっては気休めでしかありませんでした。【自分だけ苦しんでいる。もうこの場所から逃げたい、消えてしまいたい】いつも考え続けていた自分は卑怯だ!何人を路頭に迷わす気だったんだ!目が覚めたわけじゃないんです、眼前の靄が晴れただけなんです、それまでには家族はじめ従業員にはつらい思いをさせました、特に多感な時期に娘には重い荷を背負わせてしまったことを悔やみます。
    心に消えない傷をつけてしまったのかもしれません。
    ただ、今になって思えばカウンセリングは娘の「トラウマ」は一時期、親と距離を取り自我を取り戻す時間が必要ということだったのでしょうが、後のフォローがなくて親子断絶状態が続いています。
    ある意味ではトカゲのしっぽ切リみたいなものに感じます。
    大きな諍い(女房とは)はこれっきりです。

  • 娘が投稿した作文は、体裁だけの作文で本心での作文ではないのです。
    本心は私と家内にあてた決別のメール内容です。
    いい証拠に、NHKに投稿した作文内では「父がうつ病になったことで、それを実感として学ぶことができました。当時は辛いことばかりでしたが、今では、貴重な体験をすることができて良かったと考えています。」とは言いつつ、メールでは徹底的に親を打ちのめしにかかったとしか思えません。
    全国放送で公表されたことで、現実大問題になっている親による身体的・精神的虐待を行った極悪非道な親というレッテルを張られたようです、「ありえない」と言ってくれるのは私たちの昔からの知り合いや友達しかいないです。
    とても肩身が狭いです、決して娘の作文が親にとって栄誉とは思えません!

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